光念寺(読み)こうねんじ

日本歴史地名大系 「光念寺」の解説

光念寺
こうねんじ

[現在地名]三浦市三崎一丁目

三崎みさき町の中央、南にじようヶ島をながめる高台に位置し、本瑞ほんずい寺に隣接する。見龍山無量寿院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来開基和田義盛と伝え、中興開山は永禄七年(一五六四)没の善芳(風土記稿)。安政六年(一八五九)の二一世華誉諦山と檀頭湊伝三郎連名による境内返還覚(当寺蔵)によれば、字上御堂かみみどうの寺有地一反七畝余が異国船に対する防衛陣屋地として接収され、武蔵川越藩・近江彦根藩・萩藩が次々にこの陣屋を使用したという。


光念寺
こうねんじ

[現在地名]堺市金岡町

光照こうしよう寺の東方にある。真宗仏光寺派。緑樹山と号し、本尊阿弥陀如来。寺伝によると応永一四年(一四〇七)開創と伝える。当寺一五世聖意は天保七年(一八三六)境内に私塾善学処を開設、子の聖如とともに仏教の暦学や論語・詩文などを教えた(「塾中雑記」光念寺文書)塾生は五〇名ほどで当地域の名望家が入門した(同文書)。塾の畳・建具の修理や増改築などは近隣の庄屋・富農層の寄付によって賄われ幅広い支持を得ている(「善学処畳寄附帳」同文書)


光念寺
こうねんじ

[現在地名]小川町新田

山号は遍照山、浄土真宗本願寺派、阿弥陀如来を本尊とする。日向国高千穂の浪士土持永寿が出家して釈夢心と改め、南新田みなみしんでん村に開き、万延元年(一八六〇)現地に移転したという。開基年代は天和三年(一六八三)とも元禄年間(一六八八―一七〇四)ともいう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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