全国労働組合同盟(読み)ぜんこくろうどうくみあいどうめい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「全国労働組合同盟」の意味・わかりやすい解説

全国労働組合同盟
ぜんこくろうどうくみあいどうめい

略称全労。1930年(昭和5)6月1日、中間派の統一体として結成された全国中央組織(ナショナル・センター)で、組合員数公称4万人。26年(大正15)12月4日の日本労働総同盟(総同盟)第二次分裂で結成された日本労働組合同盟、29年(昭和4)9月23日の第三次分裂で結成された労働組合全国同盟を中心に、小組合を加えて結成され、総同盟など右派組合の現実追随、左派組合の大衆遊離を批判する一勢力をなした。しかし、その基礎は弱く、31年総同盟を中心とする大右翼結集を目ざす日本労働倶楽部(くらぶ)(32年日本労働組合会議に改組)の結成に参加したため、左派が分裂して全労倶楽部排撃闘争同盟(32年全労統一全国会議と改称)を結成、満州事変契機に右派が離脱して32年日本国家社会主義労働同盟(のち日本労働同盟と改称)を結成した。36年1月、総同盟と合同して全日本労働総同盟全総)を結成したが、産業報国(産報)運動が提唱されると、旧全労系は産報推進の立場から全総解消運動を起こしてこれを脱退、39年11月3日産業報国倶楽部を結成した。

松尾 洋]

『労働運動史料刊行委員会編『日本労働運動史料 第八巻』(1975・東京大学出版会)』『大河内一男・松尾洋著『日本労働組合物語 昭和』(1965・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「全国労働組合同盟」の意味・わかりやすい解説

全国労働組合同盟【ぜんこくろうどうくみあいどうめい】

略称は全労。1930年日本労働組合同盟と労働組合全国同盟(ともに総同盟から分裂したもの)が合同して結成。中間派的傾向で組合員4万2000人(当時日本最大)を擁し,全国大衆党支持組織。東洋モスリン,住友製鋼等の大争議を指導したが次第に右傾化した。河野密委員長に体制強化を図ったが1936年総同盟と再合同。
→関連項目全日本労働総同盟

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全国労働組合同盟
ぜんこくろうどうくみあいどうめい

略称,全労。 1930年日本労働組合同盟,労働組合全国同盟などが合同して結成された労働組合全国組織で,全国労農大衆党の支持母体。委員長大矢省三,主事上条愛一。東洋モスリン,住友製鋼など多くの争議を指導したが,満州事変以後,社会情勢が変化するなかで,大矢委員長らが国家社会主義を唱えて離反するなど,組合内部には動揺が絶えなかった。新委員長河野密,新主事菊川忠雄らは社会民主主義陣営の団結を説き,35年6月,総同盟と合同する方針を決定,翌 36年1月合同が成り,全日本労働総同盟 (全総) に発展した。

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世界大百科事典(旧版)内の全国労働組合同盟の言及

【組合同盟】より

…指導者は,棚橋小虎菊川忠雄ら新人会出身の知識人,それに望月源治,岩内善作,高梨二夫ら労働者出身のストライキマン的活動家であった。傘下の組合は関東が中心で,あとは兵庫県と北九州に二,三存在しただけで,29年9月の総同盟第3次分裂によって生まれた労働組合全国同盟(大阪中心で公称6000人,大矢省三が委員長で,山内鉄吉,本山茂貞らが幹部)と合同して,30年6月に全国労働組合同盟(全労)を結成するまでは,全国組織としての実態を欠いていた。しかも加盟主力組合は,女子労働者中心の紡織,全国に点在する鉱山,各種の中小企業労働者を集めた合同労組などで,右派の総同盟にくらべ組織基盤は弱体であった。…

【総同盟】より

…この大会はまた,すでに空文化していた労資の階級対立を主張した綱領を〈国情に立脚し,資本主義の根本的改革を図り以て健全なる社会の建設を期す〉と改めると同時に,大会の隔年開催,機関誌の縮小などによって組合経費の節約をはかった。
[全総]
 36年1月,総同盟は中間派の全労(全国労働組合同盟,1930年6月結成)と合同し,組合員9万5000人(内務省調7万2000人)を擁する全総(全日本労働総同盟)を結成した。しかし37年の日中戦争以後,労働運動に対する圧迫は強まった。…

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