本地垂迹説(読み)ほんじすいじゃくせつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「本地垂迹説」の解説

本地垂迹説
ほんじすいじゃくせつ

神仏習合に関する。本来は教教学上の術語,『法華経』の本迹二門の説などに基づく。『法華経』の構成を本地垂迹の二門より成るとし前の十四品を迹門の法華,あとの十四品を本門の法華とし説法の主体である仏身そのものに歴史上の人格としての釈迦と,久遠実成の法身の区別をみようとした。この説は早くインドで仏教がインドの諸を摂取するのに用いられ,中国で道教と接したときにもその例にならったといわれる。日本においても,神仏提携はすでに奈良時代に現れていたが,平安時代に入って,菩薩仏陀がかりに神の姿をとって迹するという本地垂迹説が生れ,神は権現 (ごんげん。すなわち「かりのあらわれ」) と呼ばれるようになった。天台宗から山王一実神道真言宗から両部神道が生れた。鎌倉時代になると逆に神祇を本位とし,仏陀を従属的地位におく反本地垂迹説が現れ,室町時代に入って,吉田神道伊勢神道などは,如来は天皇の垂迹である,あるいは仏教は花実,儒教枝葉神道が根本であるとする根葉花実論を発展させた。

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旺文社日本史事典 三訂版「本地垂迹説」の解説

本地垂迹説
ほんじすいじゃくせつ

本地である仏が衆生救済のため,仮に日本の神となって現れたと説く神仏習合思想
奈良時代に成立し,平安時代に発展し,両部神道・山王一実神道となった。この思想により,僧形八幡像・神宮寺などがつくられた。鎌倉時代には,神を本地とする反本地垂迹説も現れたが,明治初期の神仏分離令まで存続した。

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精選版 日本国語大辞典「本地垂迹説」の解説

ほんじすいじゃく‐せつ ホンヂスイジャク‥【本地垂迹説】

〘名〙 神は仏がの人を救うために姿を変えてこの世に現われたとする神仏同体の説。法華経の本門・迹門の理解に負うもので、すでに九世紀ごろから神仏習合説が行なわれ、平安末期から鎌倉時代にかけて、すべての神社本地仏が定められるほど盛んとなり、明治の神仏分離まで続いた。

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デジタル大辞泉「本地垂迹説」の解説

ほんじすいじゃく‐せつ〔ホンヂスイジヤク‐〕【本地垂×迹説】

菩薩ぼさつ本地とし、を衆生救済のための垂迹とする説。法華経大日経に基づいて説かれたもの。日本では、平安時代から各地の神社の本地仏が確定し、神仏習合が進められたが、明治の神仏分離により衰退

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