八代神社
やつしろじんじや
国道三号の旧道が宮地町と妙見町の境で麓川と直交する辺りに鎮座する。もと妙見宮(妙見下宮)と称したが、明治初年現社名に改称。祭神天御中主神・国常立神。旧県社。「国誌」によれば文治二年(一一八六)後鳥羽天皇の勅願によって創建され、白木社妙見宮・白木山妙見宮ともよばれたという。同書所引の神領寄進状は年間一二〇回の祭礼料・社家領地屋敷分・一五坊領地屋敷分・年々社内修復料・番匠鍛冶領分・檜物屋領分を合せて四八町九段の神領を記している。室町―戦国期八代を支配した名和・相良両氏より益城・八代両郡のうち合せて一三町一段四畝の所領が寄進されたという。「八代日記」永正一二年(一五一五)・同一七年条に「於白木社臨時之祭礼」の記事がみえ、享禄二年(一五二九)一一月一五日には相良義滋の願いによって当社で百二十番の流鏑馬が行われた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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