改訂新版 世界大百科事典 「六郷満山」の意味・わかりやすい解説
六郷満山 (ろくごうまんざん)
大分県国東(くにさき)半島には古くは国埼(東)郡として六つの郷があった。この六郷に成立した多くの天台宗寺院を六郷山または六郷満山と総称する。750年(天平勝宝2)国埼郡来縄(くなわ)・安岐・武蔵郷内は宇佐八幡宮比咩神封戸となったが,また970年(天禄1)公家貢進の330余戸(《宇佐託宣集》)が宇佐八幡宮神宮寺の弥勒寺領とすれば,これによって国衙領国前(東)郷を除くすべては宇佐八幡宮寺領となった。この地域には古くから草堂寺院が多く,10世紀ごろからこれらは山岳寺院となり,平安末期には65ヵ寺800余といわれる院坊を形成した。これらの寺ははじめ惣山以下諸職を分担し教団を作ったが,末期に弥勒寺を離れ比叡山に本家職を寄進した関係もあり,天台系の本・中・末の三山組織をもった。開基は人(仁)聞菩薩というが,建立したのは弥勒寺または宇佐宮である。富貴寺,伝乗寺(真木大堂)の仏像,長安寺の太郎天童等々には宇佐の民俗仏教や天台,熊野修験,朝鮮半島の文化様式がみられる。平安末期に最も隆盛となり,鎌倉期より衰えたが,武士が檀那に代わり,種々の石仏,石造塔婆を創造し,修正鬼会,盲僧教団などを護って,衰退を続けたものの現存している。
→国東半島
執筆者:中野 幡能
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報