蓮華山と号し、天台宗。本尊は阿弥陀如来。養老年中(七一七―七二四)仁聞の開基と伝える。織豊期以降の成立と思われる六郷二十八山本寺目録(太宰管内志)に六郷山本山分末寺の一として「
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大分県豊後高田市にある天台宗の寺。山号は蓮華山。古くは阿弥陀寺と呼ばれ,718年(養老2)仁聞(にんもん)の開基と伝える。大堂(おおどう)(阿弥陀堂,国宝)のみが現存。国東六郷満山(くにさきろくごうまんざん)本山本寺の西叡山高山寺(現在廃寺)の末寺として,また宇佐八幡宮大宮司宇佐氏歴代の祈願所として,所領寄進などの外護(げご)も受けたが,しだいに衰退に向かい,盛時にあった東ノ坊,中ノ坊,谷ノ坊,妙蔵坊,大門坊,南ノ坊も江戸時代中期ころにはすでに南ノ坊を残すのみとなった。大堂は平安後期,12世紀ころの建築で,代表的阿弥陀堂建築の一例であり,九州最古の木造建造物でもある。桁行3間,梁間4間の前庇を広くした形式。軸部は大面取角柱上に大面取の舟肘木とし,同じく大面取の側桁を受ける。軒は二軒繁垂木。屋根は宝形造,本瓦葺きである。内陣いっぱいに須弥壇を構え,壇上に阿弥陀如来座像(平安後期,重要文化財)を安置する。来迎壁に浄土変相図が描かれ,四天柱,長押(なげし),無目(むめ),小壁に仏像,宝相華文などの彩色を施す。
執筆者:上田 純一+宮本 長二郎
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大分県豊後高田(ぶんごたかだ)市蕗浦(ふきうら)にある天台宗の寺。山号は蓮華山(れんげさん)。旧称は蕗阿弥陀(ふきあみだ)寺。「蕗の大堂(だいどう)」ともよばれる。寺伝によれば718年(養老2)仁聞(にんもん)の開基という。大堂は三間・四間の単層、屋根は宝形(ほうぎょう)造・行基葺(ぎょうきぶ)きの九州最古の木造建築物で、平等院鳳凰(ほうおう)堂、中尊寺金色(こんじき)堂と並ぶ貴重な阿弥陀堂として国宝に指定されている。堂内には阿弥陀浄土図などの壁画が描かれており、本尊阿弥陀如来坐像(にょらいざぞう)とともに国の重要文化財である。堂の周囲には板碑(いたび)、笠塔婆(かさとうば)(いずれも県文化財)をはじめ、国東(くにさき)半島に特有の国東塔など、貴重な石造物が多い。境内は国指定史跡。
[中山清田]
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蕗(ふき)寺・蕗浦阿弥陀寺とも。大分県豊後高田市田染(たしぶ)蕗にある天台宗の寺。蓮花(れんげ)山と号す。六郷満山(ろくごうまんざん)の一つ。718年(養老2)仁聞(にんもん)が開創というが,12世紀中頃に宇佐大宮司宇佐公通が創建とする説もある。宇佐大宮司歴代の祈願所。国宝の大堂,大堂壁画・阿弥陀如来像(ともに重文)などがある。大堂の周辺には鎌倉~江戸時代の石造の仏像・塔婆が多数ある。境内は国史跡。
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…中尊寺の金色堂は阿弥陀堂を工芸的に装飾して墓堂に使用した例である。大分県豊後高田市の富貴寺(ふきじ)大堂(12世紀末)は正面を3間,奥行きを4間とし,中心より後方に仏壇をおき,周囲行道と仏壇前の儀式の両方が可能な平面をつくっている。一方,九体阿弥陀堂は藤原道長建立の法成(ほうじよう)寺(1020)が古い例で,京都を中心に各地に建てられた。…
※「富貴寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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