富貴寺(読み)フキジ

デジタル大辞泉 「富貴寺」の意味・読み・例文・類語

ふき‐じ【富貴寺】

大分県豊後高田ふきにある天台宗の寺。山号は、蓮華山。養老2年(718)、仁聞の創建と伝える。国宝の本堂は、平安時代阿弥陀堂建築の遺構の一。旧称、蕗阿弥陀寺。ふきでら。

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精選版 日本国語大辞典 「富貴寺」の意味・読み・例文・類語

ふき‐でら【富貴寺】

  1. 大分県豊後高田市蕗(ふき)にある天台宗の寺。山号は蓮花(華)山。もと蕗阿彌陀寺という。養老二年(七一八)仁聞(にんもん)の開創と伝える。宝形造本瓦葺の大堂は九州最古の木造建築物で国宝。ふきじ。蕗寺。

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日本歴史地名大系 「富貴寺」の解説

富貴寺
ふきじ

[現在地名]豊後高田市蕗

蓮華山と号し、天台宗。本尊は阿弥陀如来。養老年中(七一七―七二四)仁聞の開基と伝える。織豊期以降の成立と思われる六郷二十八山本寺目録(太宰管内志)六郷山本山分末寺の一として「(蓮)花山富貴寺」とみえる。貞応二年(一二二三)五月日の大宮司宇佐公仲寄進状案(到津文書)には「蕗浦阿弥陀寺」とみえ、宇佐公仲は田染たしぶ庄内末久すえひさ名の田畠および用作糸永いとなが放田一町五段と荒野を寄進している。また「当寺者、是累代之祈願所」とあり、同寺は代代宇佐大宮司家の祈願所であった。この時期の富貴寺には六郷山寺院との関係がうかがえない。しかし建武四年(一三三七)六月一日の六郷山本中末寺次第并四至等注文案(永弘文書)では「蕗寺」は六郷山寺院高山たかやま寺の末寺となっており、寺領は調幸実に押領されていた。康永三年(一三四四)二月二八日の田染庄糸永名惣帳案(同文書)には糸永名田畠居屋敷三〇町の一所として蕗寺免一町がみえる。文和二年(一三五三)には大檀那調行実らによって蕗阿弥陀堂の修造が行われた(当寺蔵棟札銘)。調行実は建武四年の押領者調幸実と同一人物といわれている。押領者と大檀那が同一人物という点について、押領者は調幸実ではなく、当寺を六郷山寺院の末寺に組込もうとした六郷山衆徒のほうではなかったかとの説もある。文和二年銘の棟札には学頭僧祐禅の名もみられ、参道登り口に立つ延文六年(一三六一)銘の板碑(県指定文化財)は祐禅の七回忌に造立されたもの。


富貴寺
ふきでら

[現在地名]川西町大字保田

真言宗豊山派。寺伝では貞観年間(八五九―八七七)法隆寺東院を再興した道詮の建立という。西側にある六県むつがた神社の宮寺で、旧正月六日には牛王印を本堂の四本柱に飛びついて捺印する四本柱飛突式があった。南西の柱を保田明神(六県神社)と称したが、柱に「天文三年午五月七日 ミヤ戸カク」の陰刻が残る。本堂(国指定重要文化財)は桁行五間・梁間四間、一重・寄棟造・本瓦葺。

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改訂新版 世界大百科事典 「富貴寺」の意味・わかりやすい解説

富貴寺 (ふきじ)

大分県豊後高田市にある天台宗の寺。山号は蓮華山。古くは阿弥陀寺と呼ばれ,718年(養老2)仁聞(にんもん)の開基と伝える。大堂(おおどう)(阿弥陀堂,国宝)のみが現存。国東六郷満山(くにさきろくごうまんざん)本山本寺の西叡山高山寺(現在廃寺)の末寺として,また宇佐八幡宮大宮司宇佐氏歴代の祈願所として,所領寄進などの外護(げご)も受けたが,しだいに衰退に向かい,盛時にあった東ノ坊,中ノ坊,谷ノ坊,妙蔵坊,大門坊,南ノ坊も江戸時代中期ころにはすでに南ノ坊を残すのみとなった。大堂は平安後期,12世紀ころの建築で,代表的阿弥陀堂建築の一例であり,九州最古の木造建造物でもある。桁行3間,梁間4間の前庇を広くした形式。軸部は大面取角柱上に大面取の舟肘木とし,同じく大面取の側桁を受ける。軒は二軒繁垂木。屋根は宝形造,本瓦葺きである。内陣いっぱいに須弥壇を構え,壇上に阿弥陀如来座像(平安後期,重要文化財)を安置する。来迎壁に浄土変相図が描かれ,四天柱,長押(なげし),無目(むめ),小壁に仏像,宝相華文などの彩色を施す。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「富貴寺」の意味・わかりやすい解説

富貴寺
ふきじ

大分県豊後高田(ぶんごたかだ)市蕗浦(ふきうら)にある天台宗の寺。山号は蓮華山(れんげさん)。旧称は蕗阿弥陀(ふきあみだ)寺。「蕗の大堂(だいどう)」ともよばれる。寺伝によれば718年(養老2)仁聞(にんもん)の開基という。大堂は三間・四間の単層、屋根は宝形(ほうぎょう)造・行基葺(ぎょうきぶ)きの九州最古の木造建築物で、平等院鳳凰(ほうおう)堂、中尊寺金色(こんじき)堂と並ぶ貴重な阿弥陀堂として国宝に指定されている。堂内には阿弥陀浄土図などの壁画が描かれており、本尊阿弥陀如来坐像(にょらいざぞう)とともに国の重要文化財である。堂の周囲には板碑(いたび)、笠塔婆(かさとうば)(いずれも県文化財)をはじめ、国東(くにさき)半島に特有の国東塔など、貴重な石造物が多い。境内は国指定史跡。

[中山清田]


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百科事典マイペディア 「富貴寺」の意味・わかりやすい解説

富貴寺【ふきじ】

大分県豊後(ぶんご)高田市蕗(ふき)にある天台宗の寺で,旧称は阿弥陀寺。718年仁聞(にんもん)の開基と伝える。国宝の大堂は阿弥陀堂建築の西限を示す平安後期の遺構で,蕗の大堂と呼ばれる。内陣は四本柱の中に仏壇を設け,後壁に浄土変相図が描かれているほか,堂内は極彩色の菩薩像,宝相華文などで飾られている。
→関連項目阿弥陀堂国東半島豊後高田[市]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「富貴寺」の解説

富貴寺
ふきじ

蕗(ふき)寺・蕗浦阿弥陀寺とも。大分県豊後高田市田染(たしぶ)蕗にある天台宗の寺。蓮花(れんげ)山と号す。六郷満山(ろくごうまんざん)の一つ。718年(養老2)仁聞(にんもん)が開創というが,12世紀中頃に宇佐大宮司宇佐公通が創建とする説もある。宇佐大宮司歴代の祈願所。国宝の大堂,大堂壁画・阿弥陀如来像(ともに重文)などがある。大堂の周辺には鎌倉~江戸時代の石造の仏像・塔婆が多数ある。境内は国史跡。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富貴寺」の意味・わかりやすい解説

富貴寺
ふきじ

大分県豊後高田市にある天台宗の寺。もとは阿弥陀寺といい,養老2 (718) 年仁聞法師の創建と伝えられる。国宝の大堂は蕗 (ふき) の大堂ともいい,藤原時代末期に建造された当時の阿弥陀堂の典型的な例で,三間四面宝形造。阿弥陀三尊を安置し,その後壁に浄土変が描かれ,なげし上の板壁にも仏,菩薩の壁画がある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「富貴寺」の解説

富貴寺
ふきじ

大分県豊後高田市にある天台宗の寺
718年仁聞 (にんもん) 法師の建立と伝える。阿弥陀堂(大堂)は平安後期の作。堂内には仏・菩薩などを極彩色で描いた浄土来迎図の壁画がある。本尊は藤原時代の阿弥陀如来像。国東 (くにさき) 半島にはほかにもこの時代の遺構が多い。

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事典 日本の地域遺産 「富貴寺」の解説

富貴寺

(大分県豊後高田市田染蕗2395)
おおいた遺産」指定の地域遺産。
六郷満山に属す天台宗の寺院。国宝の大堂は九州最古の木造建築で日本三阿弥陀堂の1つ。本尊の阿弥陀如来座像と堂内の壁画は国指定重要文化財

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デジタル大辞泉プラス 「富貴寺」の解説

富貴寺

大分県豊後高田市にある寺院。天台宗。山号は蓮華山。旧称は蕗(ふき)阿弥陀寺。718年創建。本尊は阿弥陀如来。平安後期に建立された大堂は国宝、境内は国の史跡に指定。

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世界大百科事典(旧版)内の富貴寺の言及

【阿弥陀堂】より

…中尊寺の金色堂は阿弥陀堂を工芸的に装飾して墓堂に使用した例である。大分県豊後高田市の富貴寺(ふきじ)大堂(12世紀末)は正面を3間,奥行きを4間とし,中心より後方に仏壇をおき,周囲行道と仏壇前の儀式の両方が可能な平面をつくっている。一方,九体阿弥陀堂は藤原道長建立の法成(ほうじよう)寺(1020)が古い例で,京都を中心に各地に建てられた。…

※「富貴寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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