備前国(岡山県)に住した刀鍛冶によって作られた刀剣の総称。古来から鉄の産地として著名な中国山脈を背にした備前国は,平安時代以来,日本の刀剣の最大の生産地として室町末期まで600年余栄え,その間数多くの名工を出し,名刀を残している。備前鍛冶は平安後期に古備前派と称する一群の刀工の出現によって始まる。これらの刀工の住地は明らかでないが,永延(987-989)ころの友成,正恒が古く,そのほか包平(かねひら),助平,信房,真恒,利恒,助包,吉包らが代表工としてよく知られている。古備前派の特色は,一般に太刀姿は長寸で細身であり,刃文は直刃(すぐは)調の小乱(こみだれ)で古雅である。
鎌倉時代に入ってもこの古備前派は引き続いて活躍したが,やがて福岡(瀬戸内市の旧長船町)の地に福岡一文字派が現れ,鎌倉中期まで名工が輩出した。この派は後鳥羽院の御番鍛冶である則宗を祖とし,初期では助宗,安則,成宗,尚宗,宗吉らがおり,中期では吉房,則房,助真が名高い。また,これとは別に〈一〉とのみ銘を切る者もいて,このために福岡一文字の名称がある。初期の作風は古備前派と近い直刃調子の出来であったが,中期では太刀は幅広く,猪首鋒(いくびきつさき)となり,刃文は太丁子(おおちようじ),重花(じゆうか)丁子,蛙子(かわずこ)丁子などきわめて華やかなものとなった。
鎌倉中・末期には吉岡,岩戸,長船(おさふね),畠田,宇甘(うかい),和気(わけ),新田などの地にも刀工たちが現れ,それぞれ特色ある作刀を残した。吉岡,岩戸には福岡一文字と同じく〈一〉をきる者がいるため吉岡一文字,岩戸一文字と呼ばれており,吉岡一文字では助光が,岩戸一文字では吉家,吉氏が代表工である。長船の地には鎌倉中期に光忠を祖とする長船派が起こり,この一派は室町時代まで,日本最大の流派として大きく栄えた(長船物)。この光忠の子に長光,その子に景光がおり,いずれも名工として名高く,その一門には真光,秀景,真長,長元,近景,景政らがいる。また長船には光忠とは系統を異にする国宗や元重がいる。長船と隣接する畠田には光忠と同時代に守家を祖とする一派があり,真守,守重らの作刀が現存している。これらの刀工の作風は中期には一文字に似た華やかな丁子乱の刃文を焼き,なかでも光忠や守家は蛙子丁子を交えた特色のある作を残したが,長光を経て鎌倉末期の景光へいくに従い,刃文に派手さはなくなり,直刃調子のものとなっていった。とくに景光は片落互の目(かたおちぐのめ)と称する刃文を得意としている。宇甘に住した刀工は雲生,雲次,雲重と銘に〈雲〉の字を冠するため雲類とも呼んでいる。そのほか和気荘に重則,重助,また親田荘に親依がおり,ともにわずかながら作刀が現存している。
南北朝時代に入ると長船派を除く他派はいずれも衰微し,長船派は前時代末期に続いて全盛期を迎えた。光忠の正系に景光の子という兼光がおり,その一門に倫光,基光,政光らの良工が多く出,また別系に長重,長義,長守,兼長らがいる。この時代の作風は〈湾れ(のたれ)〉の刃文が焼かれるようになり,沸(にえ)のつくものも見られるなど,相州伝の影響を受けたことが大きな特色で(相州物),とくに長重,長義らの系統にはそれが顕著であり,それまでの備前刀とはまったく異なった作風を見せた。そのほか吉井の地に吉井派が生まれ,景則,真則らが小互の目乱の連れて揃った特色ある作風を展開した。室町時代には長船派が引き続き栄え,室町初期のものを応永備前,末期のものを末備前といい,前者の代表工には盛光,康光が,後者には忠光,勝光,祐定らがいる。この期の作風は初期は腰の開いた互の目が主体となり,丁子が交じり,後期には復式互の目という華やかで複雑な刃文が焼かれるようになった。室町末まで栄えた備前鍛冶は,天正年間(1573-92)の末ころ長船一帯を襲った水害により,その後はまったく衰えた。
→日本刀
執筆者:原田 一敏
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備前国(岡山県南東部)で制作された刀剣。備前は平安後期から室町末期までの600年余の間にもっとも多くの刀工を生み、名刀を多数残している。この国に刀鍛冶(かじ)の隆盛をみたのは、美作(みまさか)国(岡山県北部)を中心とする中国山中で多くの鉄が産出されたためである。
平安時代の鍛冶の分布は明らかでなく、一括して古備前物(こびぜんもの)とよび、代表工には友成(ともなり)、正恒(まさつね)、包平(かねひら)などがいる。鎌倉時代には福岡、吉岡、長船(おさふね)、畠田(はたけだ)、宇甘(うかい)、和気(わけ)、新田(にった)、吉井、岩戸、土師(はじ)、日笠(ひがさ)などに分布している。なかでも鎌倉初期に則宗(のりむね)を祖として栄えた福岡一文字派は、中期に至ると華やかな丁子(ちょうじ)刃の作風を展開し、なかに吉房、助真、則房など多くの名工がいる。
中期に光忠(みつただ)を祖としておこった長船派は以降、長光(ながみつ)、景光(かげみつ)、兼光(かねみつ)と続き、さらに南北朝期から室町期へと多くの刀工を生んでいる。この長船派はもっとも多くの作品を残しており、室町初期のものを応永(おうえい)備前、末期のものを末(すえ)備前といい、前者では盛光(もりみつ)、康光(やすみつ)、後者では勝光(かつみつ)、祐定(すけさだ)、清光(きよみつ)らを代表工としている。しかし、祐定を名のる刀工は1人ではなく、同時代に数十名おり、なかには与三左衛門尉(じょう)祐定、源兵衛尉祐定というように個人名を明らかにした者もあるが、多くは「備州住(じゅう)長船祐定」とのみ銘しており、これらは数打(かずうち)物、束刀(たばがたな)とよばれる大量生産品である。江戸時代にも祐定の名跡を継いだ者がいて幕末に及んでいる。
[小笠原信夫]
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