備前物(読み)ビゼンモノ

デジタル大辞泉 「備前物」の意味・読み・例文・類語

びぜん‐もの【備前物】

備前の刀工が鍛えた刀の総称。平安時代には古備前派鎌倉時代一文字派長船おさふね派、室町時代以後は長船派が栄えた。備前作り。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「備前物」の意味・読み・例文・類語

びぜん‐もの【備前物】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 備前国の刀工が鍛えた刀の総称。一般に、名工が多く出た平安後期から室町末期にかけてのものをいい、古備前派・一文字派・長船(おさふね)派などの系統がある。また、業物(わざもの)をたとえてもいう。びぜんがたな。びぜんづくり。
    1. [初出の実例]「まづ大方はびぜん物でござる」(出典:虎明本狂言・長光(室町末‐近世初))
  3. びぜんやき(備前焼)〔宗達茶湯日記(他会記)‐天文一八年(1549)一二月一二日〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「備前物」の意味・わかりやすい解説

備前物 (びぜんもの)

備前国(岡山県)に住した刀鍛冶によって作られた刀剣の総称。古来から鉄の産地として著名な中国山脈を背にした備前国は,平安時代以来,日本の刀剣の最大の生産地として室町末期まで600年余栄え,その間数多くの名工を出し,名刀を残している。備前鍛冶は平安後期に古備前派と称する一群の刀工の出現によって始まる。これらの刀工の住地は明らかでないが,永延(987-989)ころの友成,正恒が古く,そのほか包平(かねひら),助平,信房,真恒,利恒,助包,吉包らが代表工としてよく知られている。古備前派の特色は,一般に太刀姿は長寸で細身であり,刃文は直刃(すぐは)調の小乱(こみだれ)で古雅である。

 鎌倉時代に入ってもこの古備前派は引き続いて活躍したが,やがて福岡(瀬戸内市の旧長船町)の地に福岡一文字派が現れ,鎌倉中期まで名工が輩出した。この派は後鳥羽院の御番鍛冶である則宗を祖とし,初期では助宗,安則,成宗,尚宗,宗吉らがおり,中期では吉房,則房,助真が名高い。また,これとは別に〈一〉とのみ銘を切る者もいて,このために福岡一文字の名称がある。初期の作風は古備前派と近い直刃調子の出来であったが,中期では太刀は幅広く,猪首鋒(いくびきつさき)となり,刃文は太丁子(おおちようじ),重花(じゆうか)丁子,蛙子(かわずこ)丁子などきわめて華やかなものとなった。

 鎌倉中・末期には吉岡,岩戸,長船(おさふね),畠田,宇甘(うかい),和気(わけ),新田などの地にも刀工たちが現れ,それぞれ特色ある作刀を残した。吉岡,岩戸には福岡一文字と同じく〈一〉をきる者がいるため吉岡一文字,岩戸一文字と呼ばれており,吉岡一文字では助光が,岩戸一文字では吉家,吉氏が代表工である。長船の地には鎌倉中期に光忠を祖とする長船派が起こり,この一派は室町時代まで,日本最大の流派として大きく栄えた(長船物)。この光忠の子に長光,その子に景光がおり,いずれも名工として名高く,その一門には真光,秀景,真長,長元,近景,景政らがいる。また長船には光忠とは系統を異にする国宗や元重がいる。長船と隣接する畠田には光忠と同時代に守家を祖とする一派があり,真守,守重らの作刀が現存している。これらの刀工の作風は中期には一文字に似た華やかな丁子乱の刃文を焼き,なかでも光忠や守家は蛙子丁子を交えた特色のある作を残したが,長光を経て鎌倉末期の景光へいくに従い,刃文に派手さはなくなり,直刃調子のものとなっていった。とくに景光は片落互の目(かたおちぐのめ)と称する刃文を得意としている。宇甘に住した刀工は雲生,雲次,雲重と銘に〈雲〉の字を冠するため雲類とも呼んでいる。そのほか和気荘に重則,重助,また親田荘に親依がおり,ともにわずかながら作刀が現存している。

 南北朝時代に入ると長船派を除く他派はいずれも衰微し,長船派は前時代末期に続いて全盛期を迎えた。光忠の正系に景光の子という兼光がおり,その一門に倫光,基光,政光らの良工が多く出,また別系に長重,長義,長守,兼長らがいる。この時代の作風は〈湾れ(のたれ)〉の刃文が焼かれるようになり,沸(にえ)のつくものも見られるなど,相州伝の影響を受けたことが大きな特色で(相州物),とくに長重,長義らの系統にはそれが顕著であり,それまでの備前刀とはまったく異なった作風を見せた。そのほか吉井の地に吉井派が生まれ,景則,真則らが小互の目乱の連れて揃った特色ある作風を展開した。室町時代には長船派が引き続き栄え,室町初期のものを応永備前,末期のものを末備前といい,前者の代表工には盛光,康光が,後者には忠光,勝光,祐定らがいる。この期の作風は初期は腰の開いた互の目が主体となり,丁子が交じり,後期には復式互の目という華やかで複雑な刃文が焼かれるようになった。室町末まで栄えた備前鍛冶は,天正年間(1573-92)の末ころ長船一帯を襲った水害により,その後はまったく衰えた。
日本刀
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「備前物」の意味・わかりやすい解説

備前物
びぜんもの

備前国(岡山県南東部)で制作された刀剣。備前は平安後期から室町末期までの600年余の間にもっとも多くの刀工を生み、名刀を多数残している。この国に刀鍛冶(かじ)の隆盛をみたのは、美作(みまさか)国(岡山県北部)を中心とする中国山中で多くの鉄が産出されたためである。

 平安時代の鍛冶の分布は明らかでなく、一括して古備前物(こびぜんもの)とよび、代表工には友成(ともなり)、正恒(まさつね)、包平(かねひら)などがいる。鎌倉時代には福岡、吉岡、長船(おさふね)、畠田(はたけだ)、宇甘(うかい)、和気(わけ)、新田(にった)、吉井、岩戸、土師(はじ)、日笠(ひがさ)などに分布している。なかでも鎌倉初期に則宗(のりむね)を祖として栄えた福岡一文字派は、中期に至ると華やかな丁子(ちょうじ)刃の作風を展開し、なかに吉房、助真、則房など多くの名工がいる。

 中期に光忠(みつただ)を祖としておこった長船派は以降、長光(ながみつ)、景光(かげみつ)、兼光(かねみつ)と続き、さらに南北朝期から室町期へと多くの刀工を生んでいる。この長船派はもっとも多くの作品を残しており、室町初期のものを応永(おうえい)備前、末期のものを末(すえ)備前といい、前者では盛光(もりみつ)、康光(やすみつ)、後者では勝光(かつみつ)、祐定(すけさだ)、清光(きよみつ)らを代表工としている。しかし、祐定を名のる刀工は1人ではなく、同時代に数十名おり、なかには与三左衛門尉(じょう)祐定、源兵衛尉祐定というように個人名を明らかにした者もあるが、多くは「備州住(じゅう)長船祐定」とのみ銘しており、これらは数打(かずうち)物、束刀(たばがたな)とよばれる大量生産品である。江戸時代にも祐定の名跡を継いだ者がいて幕末に及んでいる。

[小笠原信夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「備前物」の意味・わかりやすい解説

備前物
びぜんもの

備前国 (岡山県東南部) の刀工による刀剣。備前刀は平安時代中期の刀工発祥の頃から,室町時代末期の長船 (おさふね) 鍛冶衰亡にいたるまで,長期にわたって全国一の鍛冶繁栄地であり,多くの名刀を生んだ。地鉄 (じがね) がよく鍛えがすぐれているのを特色とする。永延期頃~元暦期以前の平安時代に,備前ではすでに数多くの名工を出し,この期のものを特に古備前物と称し,作品が現存する。鎌倉時代には質量ともに海内一を誇る刀工群がいて,福岡,吉岡,岩戸,長船,鵜飼 (うかい) ,和気,吉井などに在住した。備前物中最も大きい流れは一文字派と長船派で,一文字派は鎌倉時代中期以前に,長船派は同中期以後,室町時代にわたって繁栄した。南北町時代の長船物を「小反 (こぞり) 物」という。室町時代の備前物の大部分は長船物で,長船と美濃の関 (→関物 ) はこの時代の二大制作地であった。室町時代前期の作刀を応永備前物,中・後期のものを末備前物という。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「備前物」の意味・わかりやすい解説

備前物【びぜんもの】

備前の刀工の作った刀剣の総称。古刀にすぐれたものが多い。平安時代に古備前派(友成,正恒ら),鎌倉時代には一文字(いちもんじ)派(則宗,助宗ら),長船(おさふね)派(光忠,長光,景光ら)はじめ多くの流派が生まれ,匂(におい)出来で華麗な作が多い。室町時代以降は長船派が中心となって栄えた。→長船鍛冶

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android