内田るり子(読み)ウチダ ルリコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「内田るり子」の解説

内田 るり子
ウチダ ルリコ


職業
声楽家 民俗音楽研究家

専門
アルト,民族・民俗音楽学

肩書
沖縄県立芸術大学教授,国立音楽大学名誉教授

生年月日
大正9年 8月8日

出生地
東京

学歴
東京音楽学校本科(東京芸術大学)〔昭和17年〕卒,ウィーン大学哲学科〔昭和37年〕中退

経歴
昭和初期に童謡歌手としてデビュー。「待ちぼうけ」「雨降りお月」などを歌う。27年山形大助教授、29年日本女子体育短大助教授、31年国立音大助教授を経て、同大教授。この間、34〜37年ウィーン国立音大リート・オラトリオ科でエリック・ヴェルバに、フェルディナンドグロスマン声楽師事。同期間、ウィーン大学哲学科に在学ワルターグラーフにつき民族音楽学専攻。平成2年沖縄県立芸術大学教授。コーネル大学(米国)東南アジア研究所客員研究員もつとめる。著書に「田植ばやし研究」「沖縄の歌謡と音楽」など。

所属団体
日本歌謡学会(理事),東洋音楽学会(監事) 新演奏家協会,瑠璃の会(主宰)

受賞
芸術祭奨励賞〔昭和24年 43年〕,日本歌謡学会賞(志田延義賞)〔昭和59年〕

没年月日
平成4年 5月1日 (1992年)


内田 るり子
ウチダ ルリコ


職業
日本舞踊家

肩書
内田流初代家元

生年月日
大正11年 7月5日

出生地
東京都

出身地
愛知県 名古屋市

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)声楽科〔昭和17年〕卒

経歴
6歳の時に名古屋の西川里喜代に入門御園座初舞台を踏む。昭和29年内田流を創立、家元となる。

受賞
名古屋演劇ペンクラブ賞〔昭和54年〕

没年月日
平成1年 11月8日 (1989年)

親族
養女=内田 寿子(内田流2代目家元)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「内田るり子」の解説

内田 るり子
ウチダ ルリコ

昭和・平成期の声楽家(アルト),民俗音楽研究家 沖縄県立芸術大学教授;国立音楽大学名誉教授。



生年
大正9(1920)年8月8日

没年
平成4(1992)年5月1日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京音楽学校本科(現・東京芸術大学)〔昭和17年〕卒,ウィーン大学哲学科〔昭和37年〕中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭奨励賞〔昭和24年 43年〕,日本歌謡学会賞(志田延義賞)〔昭和59年〕

経歴
昭和初期に童謡歌手としてデビュー。「待ちぼうけ」「雨降りお月」などを歌う。27年山形大助教授、29年日本女子体育短大助教授、31年国立音大助教授を経て、同大教授。この間、34〜37年ウィーン国立音大リート・オラトリオ科でエリック・ヴェルバに、フェルディナンド・グロスマンに声楽を師事。同期間、ウィーン大学哲学科に在学、ワルター・グラーフにつき民族音楽学専攻。平成2年沖縄県立芸術大学教授。コーネル大学(米国)東南アジア研究所客員研究員もつとめる。著書に「田植ばやし研究」「沖縄の歌謡と音楽」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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