内田恵太郎(読み)ウチダ ケイタロウ

20世紀日本人名事典 「内田恵太郎」の解説

内田 恵太郎
ウチダ ケイタロウ

昭和期の魚類学者 九州大学名誉教授;日本魚類学会名誉会員。



生年
明治29(1896)年

没年
昭和57(1982)年3月3日

出生地
東京・神田

学歴〔年〕
東京帝大農学部水産学科卒

学位〔年〕
農学博士

主な受賞名〔年〕
勲二等瑞宝章,西日本文化賞〔昭和36年〕

経歴
開成中から一高に進み、東大水産学科でただ一人、魚類の生活史に取り組む。旧朝鮮総督府水産試験場養殖部長のあと、昭和17年から35年まで九大教授。定年後も魚の暮らしの研究を続け、九州の風物を愛した“お魚博士”として多くの人に親しまれた。著書に「魚の世界」「さかな」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位 学歴

日本大百科全書(ニッポニカ) 「内田恵太郎」の意味・わかりやすい解説

内田恵太郎
うちだけいたろう
(1896―1982)

魚類学者。東京に生まれる。1922年(大正11)に東京帝国大学農学部水産学科を卒業し、同大学講師、朝鮮総督府水産試験所技師を経て、1941年(昭和16)に九州大学教授として同大学農学部水産学科に転じた。幼少ころから魚の生態に興味をもち、長じて、稚仔魚(ちしぎょ)の発育変態などの研究で新しい分野を開拓。その成果は、1970年(昭和45)ごろから発達した栽培漁業種苗生産技術の基礎となった。『朝鮮魚類誌』『魚類・円口類・頭索類』『稚魚を求めて』などの著作がある。

落合 明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内田恵太郎」の解説

内田恵太郎 うちだ-けいたろう

1896-1982 昭和時代の魚類学者。
明治29年12月27日生まれ。朝鮮総督府水産試験場技師をへて,昭和17年九州帝大教授。同大付属水産実験所所長。魚類の生活史の研究で知られた。昭和57年3月3日死去。85歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「稚魚を求めて」「さかな異名抄」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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