1961年ころから登場し,63年に水産庁により造られた新語で,一般には水産養殖と水産増殖を包括する用語として使われている。政策面では水産増殖と同義ではあるが,とくに回遊性魚介類の増殖に限定して使われている。栽培という言葉は日本では植物用語となっており,これを漁業用語とすることには異論もあるが,これまでの漁業は大部分が採る一方の生産方式によっており,農業や畜産業のように親から子,子から親になる過程を人間の手で管理しながら再生産するしくみをもっていないところから,漁業の生産体系のなかに〈つくりながらとる〉栽培的な過程を組み入れたいという考え方が,この言葉を誕生させたといえる。ちなみに英語ではaqui-culture(水産養殖),agri-culture(農業)のようにcultureは陸産と水産の共通語となっている。
海の生物資源は鉱物資源と異なり,一定量を漁獲しても再生産されるという特徴をもっているが,人口の増大に伴う消費量,漁獲量の増加や環境の悪化などによって,とくに有用生物の資源量は減少する傾向にある。また,1977年にはじまった200カイリという新しい海洋利用に対する秩序の定着によって,外国の200カイリ水域で操業していた日本の遠洋漁業は大幅な減産を余儀なくされている。これらのため日本周辺の200カイリ内の資源を再開発ないしは増大させる必要が生じており,この面からも栽培漁業の推進に対する期待が現在ますます大きくなっている。
一般に魚介類は1尾の親が産み出す卵・稚子の数はウナギ3000万粒,ブリ500万粒,マダイ50万粒,ヒラメ40万粒,クルマエビ40万粒のようにひじょうに多いが,自然界では産まれて1~2週間で他の魚介類に食害されたり,あるいは適当な餌料にめぐりあえないなどの原因で95%以上が減耗してしまい,生残率はきわめて低く,たくさんの卵・稚子を産み出すのは自然の摂理であるとされてきた。栽培漁業の基本点は,このように減耗の大きい卵・稚子期を,害敵のない好適な環境条件のもとで,食性に合った好適な餌料を十分に与えながら乳飲児から小学生くらいまで哺育してやり,これを適期に適地に他の魚の食害をうけないような保護管理の手段を講じて放流し,その後は海のもっている自然の生産力を利用して十分に成長させ,成魚になるのをまって漁獲しようとする考え方にある。
このような基本理念に基づいて1963年から瀬戸内海をモデル海域とし,この海域の有用魚介類資源を積極的に増大させようとする大規模な増殖実験事業が実施に入った。その形は,栽培漁業センターを国が設置し,運営を関係府県および府県漁業協同組合連合会によって構成される社団法人瀬戸内海栽培漁業協会(1979年に全国組織に改組,日本栽培漁業協会となり,2003年に独立行政法人の水産総合研究センターに統合,現在に至っている)に委託するというものである。現在独立行政法人の栽培漁業センターは香川県屋島,岡山県玉野,鹿児島県志布志,岩手県宮古,長崎県五島,石川県能登島,福井県小浜,京都府宮津,静岡県南伊豆,鹿児島県加計呂間島の計10ヵ所に設置され,それぞれが設置されている海域ブロックの重要魚種を対象に,人口種苗の大量生産および放流技術の開発を行っている。一方,国の栽培漁業センターにおける技術開発の成果をうけて,その事業化を推進するための道府県段階の拠点として,道府県営の栽培漁業センターの整備も1973年以降国の補助により進められてきており,沿海37都道府県への設置を終わり本格稼働に入った。97年には沿海37都道府県に滋賀県を加えて38都道府県にそれぞれ1ヵ所の設置を終わり,さらに北海道,山口県には各3ヵ所,岩手,三重,兵庫県には各2ヵ所,計50ヵ所に設置されて本格稼動に入っている。
栽培漁業のこれまでの歩みは,技術開発とくに人工孵化(ふか)飼育による種苗の大量生産技術の開発を中心に進められてきており,大量生産が可能になった魚種について,順次に放流技術開発への着手が行われ,放流効果が実証されたものについて事業化が図られている。これまでに種苗生産技術の開発が試みられた魚種は80余種を数えるが,このうちクルマエビは数億尾,ヨシエビ,ガザミ,マダイ,ヒラメ,アワビ,ウニはそれぞれ1000万単位の種苗生産実績(全国,年間)がえられている。その他の魚類でも,クロダイ,ハタハタ,トラフグ,地域性ニシン,キュウセン,マコガレイ,ハマグリ,アコヤガイは100万単位,アイナメ,イサキ,オオニベ,メバル,ブリ,カサゴ,マガレイ,シマアジ,キジハタ,マアジ,ミナミクロダイ,オニオコゼ,ノコギリガザミ,トヤマエビ,ホッカイエビ,トコブシ,バイ,トリガイ,ミルガイなどは10万単位の生産ができる技術段階に達するという目覚ましい技術進歩をとげ,海外からも高く評価されている。また,屋外採苗方式によっているが,ホタテガイでは年間30億個の種苗が生産されている。このような技術進歩には多くの要因があるが,とくに稚子期の餌料生物の大量培養技術が,植物プランクトン(ケイ藻またはクロレラ,酵母)→小型動物プランクトン(シオミズツボワムシ)→中型動物プランクトン(コペポーダ類,アルテミア)→生鮮魚肉または人工配合飼料という餌料系列を基本型にして確立されつつあることによる面が大きいといえる。
栽培漁業の本筋ともいうべき放流効果については,母川回帰という特性をもっているサケ,マスや放流地先から移動しないホタテガイについては,近年技術改善によって目覚ましい成果をあげているが,沿岸の回遊性魚介類を対象にした種苗放流については,(1)放流対象海域が多くの生物種の食う食われるという関係の中で複雑な生態系をもっている,(2)各種の漁業が入り組んで行われており,放流した稚魚が放流後まもなく他の魚種を対象にした漁業によって混獲される,という難しい条件をもっており,放流しさえすればその魚種が必ず増えるという単純なものではない。
だれが,いつ,どこへ,どのような大きさの種苗を,どのくらいの量をまいて,どのように管理し,どのように漁獲するかというしくみを解明するための技術開発と試験事業が,国,県の研究者によって,漁業者の参加,協力を求めながらクルマエビ,ガザミ,マダイ,ヒラメなどを中心に行われてきている。移動回遊範囲が比較的小さいとみられるクルマエビは,瀬戸内海を中心に全国約400ヵ所で年間約5億尾の放流が行われ,瀬戸内海については1970年以降毎年2億尾前後の放流を行った結果,70年に460tまで減った漁獲量が75年には1240tにまで回復し,その後も1000~1100tの水準を維持しており,放流効果による増大分が50%程度を占めると試算されている。また全国各地でも効果事例は増えつつあるが,少数の漁業協同組合が利用するような小海域が多く,府県間にまたがる共同利用海域では放流量と漁獲量の相関が明らかでない例が多い。しかし,漁業者の手による中間育成と放流および種苗費の一部負担が全国に定着しつつあり,さらに中間育成方法の改善や放流種苗の大型化による効果の向上が検討されている。ガザミについても瀬戸内海では1970年に197tに減少した漁獲量が80年には1200tに回復しており,放流の効果とされているが,適切な標識法が未開発であり,十分な実証がえられていない。マダイについても年間200万~300万尾の規模で放流を継続的に行っている瀬戸内海が,1971年の2000tから79年3000t,84年以降は5000tの水準に回復しているのに対して,他の海区は減少,停滞傾向にあり,放流効果によるものと推定される。しかし,標識放流の結果からみると,放流後3年間は放流点から15kmの範囲で再捕されるものが多く,0.5~15%という3ヵ年の累積再捕率がえられているが,放流した年に底引網で混獲されるものが90%近くあることも判明しており,底引きの閑漁期をまって放流する晩期放流の実施や,小型魚の育成場造成などの検討が必要である。
栽培漁業はようやく緒についた段階であるが,無主物を漁獲するというこれまでの漁業のしくみの中に,金のかかった資源を造成して漁獲しようとするのであるから,これに対応して漁業者の参加を中心にした新しい漁場管理と利用のしくみを制度化して,合理的な漁獲が行われるようにする必要がある。このしくみは資源管理型漁業と命名され,87年から漁業者による自主管理により,小型魚を捕らないための網目の増大や自主禁漁,休漁日の設定などが行われてきており,生産効果が徐々に出てきている。
→増殖
執筆者:本間 昭郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
水産生物を漁獲するだけの漁業と異なり、有用な生物を人為的な環境下で保護・育成し、のちに自然に戻してその生産力を利用して漁獲の増大を図るシステムで、昭和30年代の中ごろに水産行政の立場からつくられた用語。陸上における農業の栽培技術・方法を主として海の生物に適用し、人為的に水産生物資源の管理を行い、計画的な漁業生産を目ざすもので、「つくる漁業」ともよばれる。
[出口吉昭]
1962年(昭和37)ごろの瀬戸内海の年間漁獲量は25万トンで、過去10年間大きな変動がなかった。しかし、漁獲物はマダイ、サワラなどの高価格魚が減少し、カタクチイワシ、イカナゴなどの低価格魚が増加する傾向にあった。そこで瀬戸内海をモデルとして次のような構想がたてられた。
〔1〕高価格魚の増大。
〔2〕漁業に循環再生産過程を導入。
〔3〕栽培漁業センターの設置。
このうち、〔3〕の栽培漁業センターの事業内容は次のようなものであった。
(1)重要魚貝類の人工孵化(ふか)、稚魚の採捕、飼育、配布および放流。
(2)栽培漁業に関する知識の普及・啓発および漁業者の指導。
(3)栽培漁業に関する技術開発。
(4)放流事業に関する調査および研究。
これらの目標を達成するため1962年に国の事業場が香川県屋島(やしま)および愛媛県伯方島(はかたじま)に初めて設置された。その後、これらの事業を実施する機関として、関連する12府県および漁業協同組合連合会を会員とする社団法人瀬戸内海栽培漁業協会が1963年に発足した。
瀬戸内海におけるクルマエビなどの放流事業の成功はほかの海区を刺激し、各地で国の栽培漁業センター設置の要望が高まり、1977年度以降順次設置された。栽培漁業センターの事業場が全国に設置されるに伴い、事業実施機関の瀬戸内海栽培漁業協会は1979年に日本栽培漁業協会に改組され全国的な組織となった。2003年(平成15)日本栽培漁業協会は解散、独立行政法人水産総合研究センターに統合され、事業場は北海道厚岸(あっけし)、岩手県宮古(みやこ)、石川県能登島(のとじま)など16か所に設置された。その後、水産総合研究センター内の水産研究所と栽培漁業センターの一元化など組織改変が行われ、「栽培漁業センター」という名称の国の事業場はなくなった。さらに2016年、水産総合研究センターは独立行政法人水産大学校と統合し水産研究・教育機構となった。2017年時点で、水産研究・教育機構には9研究所および開発調査センターが置かれており、栽培漁業に関する基礎的な技術の開発などを行っている。
なお、栽培漁業における技術開発の過程は、おおむね次のような順序で行われている。
(1)種の選定。(2)親魚養成。(3)種苗育成。(4)中間育成。(5)資源添加(種苗を中間育成した後に海へ放流し、水産資源量を増大させる)。(6)育成漁場。(7)漁場管理。(8)収穫・効果判定。
[出口吉昭]
各地域の放流種苗の大量生産を担う機関として、都道府県栽培漁業センターが置かれ、アワビ類、クルマエビ、ガザミの放流用種苗、マダイ、ヒラメ、クロダイの放流実験用種苗、養殖用人工種苗などの生産が行われていた。国の栽培漁業センターが水産総合研究センターに統合されるに伴い、都道府県の栽培漁業センターも水産試験場・水産技術センター等に徐々に統合・改変されたが、事業は継続・実行されている。また、ホタテガイ、アワビ、ウニ、クルマエビ、ガザミ、マダイ、ヒラメなどの中間育成や漁場管理などは、多くの市町村や漁業協同組合で行われている。
[出口吉昭]
『北田修一著『栽培漁業と統計モデル分析』(2001・共立出版)』
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(榎彰徳 近畿大学農学部准教授 / 2007年)
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