円寿寺(読み)えんじゆじ

日本歴史地名大系 「円寿寺」の解説

円寿寺
えんじゆじ

[現在地名]大分市上野丘西

上野丘うえのがおか台地の南東端近くに位置し、南方岩屋寺いわやじ石仏、東方に大分元町もとまち石仏がある。天台宗、総社山と号し、本尊は不動明王。「雉城雑誌」によれば、嘉元三年(一三〇五)大友貞親が近江比叡山の僧道勇を岩屋寺に招請し、徳治二年(一三〇七)貞親の子貞宗が同寺を現在の地に移して総社山円寿寺と改め、東井・仏性・法性・実相・法幢・幽栖の六坊を建てたという。また、徳治二年総社山円寿寺が大友貞宗によって新たに建てられ、豊府に来ていた道勇が開祖として招かれたとも(豊鐘善鳴録)、嘉暦二年(一三二七)来朝した正澄清拙と親交を結んでいた大友具簡(貞宗)が、後年当寺などを草創したともいう(大友家文書録)

文保二年(一三一八)九月日の権少僧都道勇置文(円寿寺文書、以下すべて同文書)に「□寿寺」とみえる。この置文によれば、当寺は天台宗近江園城おんじよう寺の系統で、寺領は新開の仏餉料六段半や供僧坊敷地を含む畠地のみの一一町であった。境内には御堂(如法堂か)惣社若宮・比体王社および供僧用の坊六宇があり、堀で囲まれていたらしく、寺務(別当)・学頭・供僧のほか、預・沙汰人らによって構成されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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