大正末期から昭和初期にかけて定価1冊1円という廉価で出版された全集や双書類をいう。出版界の不況打開のために企画され、史上空前の円本ブームを巻き起こした。きっかけをつくったのは改造社の『現代日本文学全集』である。明治・大正期の代表作を全37巻(ほかに別巻『現代日本文学大年表』。のち追加され全63巻)に網羅し、これを1円均一で予約募集を行い、一挙に三十数万の予約購読者を獲得した。予約規定によると、1926年(大正15)11月に配本を開始し28年(昭和3)末に完結の予定で、申込金1円(これは最終巻に充当)のほか、会費として月1円を払い込む、というもの。第1回配本は『尾崎紅葉集』で、菊判、311ページ、作品のほか、著者の小伝、著作年表、口絵1丁を付し、本文は6号活字ルビ(振り仮名)付き3段組みである。改造社社長山本実彦(さねひこ)は予約募集にあたり「特権階級の専有物であったわが芸術を百万大衆に解放する」と宣言、これが出版革命であると称し、読者の支持と協力を訴えた。改造社の成功に刺激された各社は、廉価の全集、双書類を次々と企画、出版した。27年のおもなものとして、新潮社『世界文学全集』、春陽堂『明治大正文学全集』、第一書房『近代劇全集』、平凡社『世界美術全集』、同『現代大衆文学全集』、アルス『日本児童文庫』、興文社『小学生全集』、春秋社『世界大思想全集』などがある。28年には、日本評論社『現代法学全集』、同『現代経済学全集』、改造社『経済学全集』その他がある。円本によって潜在読者層が開拓されたが、その反面、廉価本が氾濫(はんらん)し、読者の本に対する信頼感が薄らぎ、一般書籍の売れ行き不振を招いた。また、質の高い双書類や単行本の出版が困難になるなどの影響も見逃せない。
[矢作勝美]
『鈴木敏夫著『出版 好不況下興亡の一世紀』(1970・出版ニュース社)』
昭和初期に多くの出版社から,いっせいに200点以上も刊行された全集本の総称。当時東京市内を1円均一で走るタクシーを〈円タク〉といったが,これらの全集も定価1円のものが多かったところから,円本と俗称された。創始者は改造社社長山本実彦で,木村毅らに書目選定を依頼,《現代日本文学全集》として,1926年12月に第1回配本《尾崎紅葉集》を出版した。当初は全37巻別巻1冊の予定であったが,予約読者が23万人(のちに40万~50万人)にのぼったので,全62巻別巻1冊に拡大した。この成功を見て翌27年3月,新潮社は《世界文学全集》全38巻(のちに19巻増刊)を刊行し,48万人の予約者を獲得した。他の各社もこれにならい,3月に春秋社《世界大思想全集》全126巻,5月に平凡社《現代大衆文学全集》正続60巻,6月に春陽堂《明治大正文学全集》60巻,28年11月に講談社《講談全集》12巻と続いた。そのほか,戯曲,美術,地理,読物など各分野からも円本企画を打ち出し,ついに《漱石全集普及版》20巻(岩波書店),《菊池寛全集》正続22巻(平凡社)などの個人全集にまでおよんだ。しかし,27年6月に同時刊行の《日本児童文庫》(アルス)と《小学生全集》(興文社)などのように,企画の重複から文壇をまきこむ係争に発展した例もあり,やがて円本は急速に飽きられ,30年ごろには終りをつげた。円本の功績は,明治・大正の文学遺産を系統づけたこと,廉価販売により読者層を広げたこと,作家,評論家の生活を安定させたことなどがあるが,一方では堅実な出版を軽視するマス・セールの弊害をも露呈した。
執筆者:紀田 順一郎
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…大正時代は倉田百三《出家とその弟子》(1916)をはじめ,阿部次郎,西田幾多郎らの思想書や中里介山,白井喬二らの大衆文学が部数を伸ばした。昭和初期は円本が200点以上も出て,最も好調なものは40万~50万部の読者を獲得した。また藤森成吉の《何が彼女をさうさせたか》(1927)をはじめとするプロレタリア文学や九条武子の《無憂華》(1927)などが大いに売れた。…
※「円本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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