日本歴史地名大系 「別迫村」の解説 別迫村べつさこむら 広島県:世羅郡甲山町別迫村[現在地名]甲山町別迫赤屋(あかや)村の北に位置し、大田(おおた)川(現芦田川)の支流山田(やまだ)川流域に展開する村。東端を南から北へ石見路(赤名越)が縦断し、南東部の木原(きはら)に一里塚が置かれた。東部を除く三方は標高五〇〇メートル以上の山地が多い。集落は石見路沿いと山田川支流域の播磨(はりま)谷・摺屋(すりや)谷、北西部の反田(たんだ)谷などの主として山麓南面に散在。これらの谷々は早くから生活の舞台となり、中草田(なかそうた)住居跡をはじめ古墳も発見されている。当村は大田庄桑原(くわばら)方に属し、その北西部に立地、建久元年(一一九〇)六月日付僧鑁阿置文(高野山文書)に、大田庄の官物田のうち村々別作田として当村内の「播磨二木」「須流屋」(摺屋)の地名がみえる。 別迫村べつさこむら 広島県:三原市別迫村[現在地名]三原市高坂(たかさか)町許山(もとやま)土取(つちとり)村・坂井原(さかいばら)村(現御調郡久井町)の南にあり、安芸国豊田郡に属した。村域の大部分が山地で、東から南は標高六一〇・二メートルの大峰(おおみね)山(鷹羽山・高羽山)に続く高山が連なり、北東から南西方向に形成された断層谷を沼田(ぬた)川の支流仏通寺(ぶつつうじ)川が南流、真良(しんら)村に近い南西部の流域に耕地と集落が展開する。仏通寺川は土取から流れ下る所で滝(三級滝)を形成する。中世には沼田庄に属し、沼田小早川氏の勢力下に置かれた。応永四年(一三九七)小早川春平が氏寺仏通寺を当地に建立、永禄三年(一五六〇)七月五日付の小早川隆景制札(仏通寺文書)によって仏通寺山境の新示が実施されたとき確定した寺域が、後に村域となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by