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前田三遊 まえだ さんゆう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前田三遊 まえだ-さんゆう

1869-1923 明治-大正時代のジャーナリスト。
明治2年10月17日生まれ。中江兆民の仏学塾にまなび,東雲(しののめ)新聞に入社。大正8年広島毎日新聞社長兼主筆となる。部落解放を説き,その運動を支援した。昭和44年「前田三遊論集」(天野卓郎編)が刊行された。大正12年11月15日死去。55歳。京都出身。本名は貞次郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

前田三遊

没年:大正12.11.15(1923)
生年:明治2.10.17(1869.11.20)
明治大正時代ジャーナリスト。京都府紀伊郡納所村(京都市)生まれ。本名貞次郎。父清右衛門,母ハル。家は旅人宿を営んでいた。明治16(1883)年に中江兆民の仏学塾に入り,自由民権思想を学ぶ。幸徳秋水と親交を結んだ。21年,兆民の『東雲新聞』に入社。24年『芸備日日新聞』に入社。その後,『東京自由新聞』『仙台自由新聞』『神戸日報』などの記者を経て,29年『芸備日日新聞』に復帰。「天下の新平民諸君に檄す」(『中央公論』1903年2月号)などで部落解放を主張した。大正9(1920)年,『広島毎日新聞』の社長兼主筆となった。<著作>天野卓郎編『前田三遊論集』

(井川充雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

前田三遊
まえださんゆう
(1869―1923)

大正時代のジャーナリスト。明治2年10月17日京都府に生まれる。本名は貞次郎。中江兆民(なかえちょうみん)の仏学塾に通い、1888年(明治21)に中江の主宰する『東雲(しののめ)新聞』に入社。のち『芸備日日(げいびにちにち)新聞』『広島新聞』記者を経て1920年(大正9)には『広島毎日新聞』社長兼主筆となるなど、大正12年11月15日に没するまで生涯を新聞界で送った。前田は単なるジャーナリストではなく、1903年(明治36)に『中央公論』に部落差別撤廃を主張する文章を寄せたのを皮切りに、精力的に差別を糾弾し続けた。被差別部落の人々に「明治第二の革新」の主体たることを呼びかけて、自覚を促し、自主的、組織的な差別撤廃の方法を探った。[成田龍一]
『天野卓郎編『前田三遊論集』(1969・世界文庫)』

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世界大百科事典内の前田三遊の言及

【部落解放運動】より

…兆民は90年,大阪の被差別部落の後援をも受けて,第1回衆議院議員総選挙に当選した。兆民の死後,その遺志は門下生の前田三遊らに受けつがれた。
[部落改善運動と融和運動]
 資本主義の発達にともなって被差別部落の内部でも階層分化が進み,部落の貧困化によって差別が厳しさを増した。…

※「前田三遊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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