デジタル大辞泉
「東雲新聞」の意味・読み・例文・類語
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しののめ‐しんぶん【東雲新聞】
- 大阪で発刊された自由民権派の新聞。明治二一年(一八八八)一月一五日創刊。同二四年九月頃休刊し、まもなく廃刊。主筆中江兆民。植木枝盛ら自由党系の記者が活躍。のち大同倶楽部の機関紙となった。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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東雲新聞 (しののめしんぶん)
明治時代の民権派の新聞。1888年(明治21)1月15日旧自由党員寺田寛や戸田猛馬らが1887年12月の保安条例で東京を追放された中江兆民を主筆に迎えて大阪で創刊した新聞。編集陣には栗原亮一や江口三省らを擁し,有力な政論新聞であった。条約改正問題,大同団結運動などに鋭い論陣をはったほか,被差別部落の解放にも力を尽くした。89年10月兆民が東京に居を移すと,紙勢はしだいに衰えていった。91年10月29日休刊し,そのまま廃刊となった。
執筆者:有山 輝雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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東雲新聞
しののめしんぶん
1888年(明治21)1月15日、大阪の寺田寛(ひろし)らが中江兆民を主筆に栗原亮一(りょういち)、江口三省(さんせい)、植木枝盛(えもり)ら自由党系の人を迎えて創刊した日刊紙。後藤象二郎の大同団結運動を支持したが、大同団結が2派に分かれると大同協和会系の大阪倶楽部(くらぶ)の機関紙となる。兆民が生涯でもっとも力を注いだ新聞といわれ、論文「新民世界」で部落解放を訴え、大阪最大の被差別部落の動向を報道したほか、「寵商(ちょうしょう)豪権」と戦い、紙価を高めた。89年の大隈重信(おおくましげのぶ)の条約改正案に対しては強く反対、8月と10~11月の二度にわたり計41日間の発行停止を受けた。しかし同年4月、兆民が東京へ移るとしだいに紙勢衰え、91年10月29日終刊。
[春原昭彦]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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東雲新聞
しののめしんぶん
1888年1月大阪で創刊された自由民権派の機関紙。当時大阪の旧自由党の大同団結派は,月曜会と大阪倶楽部に分れていたが,『東雲新聞』はそのうちの大阪倶楽部の機関紙。高知県出身者が中心で,主筆は保安条例で東京を追われた中江兆民がつとめた。兆民が書いた「新民世界」は最初の本格的な部落解放論として有名。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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