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沙陀 さだSha-tuo; Sha-t`o

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

沙陀
さだ
Sha-tuo; Sha-t`o

西突厥の一派。中国,初,天山山脈東部に居住したが,吐蕃の圧迫を受けて北庭 (ビシュバリク) ,甘州に移動し,元和3 (808) 年唐に服属。部長の朱邪執宜 (しゅやしつぎ) は陰山府兵馬使に任じられ,その子の朱邪赤心 (しゅやせきしん) は唐で起った農民反乱の鎮圧に功績を立てたため大同軍節度使の官を与えられ,姓を李,名を国昌と賜わった。彼の子の李克用 (りこくよう) は五代後唐を建て,また,同じく五代の後晋,後の建国者も沙陀の一族であると伝えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沙陀
さだ

北アジア、西突厥(とっけつ)の一派。唐初には天山山脈の東部にいて、高宗(在位649~683)のとき唐の間接支配を受けたが、吐蕃(とばん)の圧迫を受けて北庭(ビシュバリク)方面へ移り、のち唐に降(くだ)った(808)。唐はこれをオルドスの塩州に置き、族長朱邪執宜(しゅやしつぎ)を西北辺の防衛にあたらせた。その子赤心(せきしん)は唐末の混乱期の反乱を平定するのに功績をたて、唐から李国昌(りこくしょう)の姓名を与えられた。国昌の子李克用(りこくよう)は唐を助けて黄巣(こうそう)の乱の平定に努め、さらにその子李存勗(りそんきょく)は後梁(こうりょう)にかわって後唐(こうとう)を建てた(923)。五代の後晋(こうしん)、後漢(こうかん)も、沙陀の建てた王朝である。[護 雅夫]

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