劉連仁(読み)リュウ レンジン

20世紀日本人名事典 「劉連仁」の解説

劉 連仁
リュウ レンジン
Liu Lian-ren

07の農民



国籍
中国

没年
2000年9月2日

出生地
山東省高密県井溝鎮草泊村

経歴
山東省の農民で1917年か18年生まれと推定される。東条内閣の閣議決定に従い、戦時下の労働力不足を補うため、’43年から日本軍が中国・華北を中心に始めた大規模な“労工狩り”で、’44年9月畑仕事の最中に拉致され、日本に強制連行された。北海道雨滝郡沼田村の明治鉱業の炭鉱強制労働に使役されていたが、過酷な生活条件と酷使に堪えかねて’45年7月仲間4人と脱走山中に逃れて一人だけ助かり、終戦も知らぬまま13年間も北海道各地を放浪、’58年2月石狩郡当別村の山中の穴蔵で発見された。日本政府は“不法残留容疑で取り調べようとしたが民間団体の抗議を受けて、同年4月祖国帰還を認めた。帰国後は故郷の山東省高密県で井溝人民公社草泊大隊革命委員会副主任を務めた。中国国内で1800回以上の報告会を行い、日本軍国主義批判の象徴的存在となったほか、’96年東京地裁に日本政府に対する損害賠償請求訴訟を起こした。’91年10月北海道を訪問。没後の2001年7月、東京地裁は国に2000万円の支払いを命じた。体験談の口述をまとめた手記に欧陽文彬「穴にかくれて十四年」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「劉連仁」の解説

劉連仁 りゅう-れんじん

1913-2000 中国の農民。
昭和19年山東省の自宅ちかくで農作業中,日本軍に強制連行され,北海道の鉱山で石炭掘りに従事させられる。20年逃亡し,北海道各地を放浪。33年山中で猟師に保護され,帰国。平成8年日本政府に対し強制連行と13年間にわたる逃亡生活の補償をもとめ訴訟をおこす。2000年9月2日死去。88歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の劉連仁の言及

【強制連行】より

… これらの労務者は酷使のなかで死亡した者も多く,逃亡・反抗事件も多発した。戦後58年2月になって北海道の雪の中で発見された劉連仁は逃亡者の一人であったし,1945年6月の秋田県花岡鉱山・鹿島組出張所での中国人600人の蜂起は代表的な事例である(花岡事件)。45年8月の敗戦時,日本には約260万の朝鮮人と約10万の中国人(台湾を含む)がいたが,47年9月の外国人登録数では,それぞれ53万人と3万人に激減しており,多くは本国に帰還した。…

※「劉連仁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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