上越(読み)ジョウエツ

デジタル大辞泉 「上越」の意味・読み・例文・類語

じょう‐えつ〔ジヤウヱツ〕【上越】

上野こうずけ越後えちご
新潟県南西部の地域名。かつて、越後を都に近い方から上越後・中越後・下越後と呼んだ時の南部地方の略称。現在、上越市を中心とする頸城くびき地方をいう。→中越下越
新潟県南西部の市。昭和46年(1971)、高田・直江津両市の合併で成立。高田はもと松平氏の城下町、直江津はその外港として発達。市西部に春日山城跡、日本スキー発祥地の金谷山かなやさんスキー場などがある。平成17年(2005)1月に周辺13町村を編入。人口20.4万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「上越」の意味・読み・例文・類語

じょう‐えつジャウヱツ【上越】

  1. [ 一 ] 上野(こうずけ)国と越後国との併称。群馬県および新潟県の佐渡島を除いた地域にあたる。
  2. [ 二 ] 新潟県南西部の地名。日本海に面する。昭和四六年(一九七一)高田、直江津の両市が合併して上越市が成立。直江津は古く北陸道の宿駅として栄え、現在は信越本線北陸本線とが接続する交通の要地。高田は中世に上杉氏の本拠、春日山城が築かれて越後国の政治的中心となり、江戸時代には榊原氏一五万石の城下町として栄えた。

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改訂新版 世界大百科事典 「上越」の意味・わかりやすい解説

上越[市] (じょうえつ)

新潟県南西部の市。2005年1月旧上越市が板倉(いたくら),大潟(おおがた),柿崎(かきざき),名立(なだち),安塚(やすづか),吉川(よしかわ)の6町と浦川原(うらがわら),大島(おおしま),清里(きよさと),頸城(くびき),三和(さんわ),中郷(なかごう),牧(まき)の7村を編入して成立した。人口20万3899(2010)。

上越市南部の旧町。旧中頸城郡所属。人口7534(2000)。北西部は高田平野南部,荒川(関川)北岸を占め,南東部は東頸城丘陵で黒倉山を隔てて長野県に接する。古くから開発が進んだ地域で,《和名抄》に板倉郷の名がみえる。中心集落の針は近世に関田峠を越え野沢温泉に出る関田街道の要衝で,中江用水,上江用水によって開田が進められた頸南穀倉地帯の中核をなす。中心産業は稲作であるが,小規模経営の農家が多く,新井市,旧上越市などへの通勤者も多い。近年,国道18号線や上越市への近接性を生かして工業団地が造成され,電気部品工場などが誘致されている。東部の光ヶ原には1969年に町営牧場が開設され,キャンプ場も整備された。米増には恵信尼(親鸞の夫人)公廟がある。

上越市東部の旧村。旧東頸城郡所属。人口4202(2000)。東頸城丘陵北西端にあたる農山村で,保倉川が中央を西流する。中心集落有島はこの谷口にあたり,1916年に直江津からの頸城鉄道の終着駅が置かれ,東頸城郡の玄関口,経済の中心地として栄えた。駅名は字名をとって浦川原とされ,55年に安塚村の一部と下保倉村が合体した際に新村名に採用された。71年に頸城鉄道は廃止されたが,97年北越急行ほくほく線が完成し,虫川大杉駅がある。保倉川沿いの低地は水田に利用され,山地には棚田も多いが,農家の経営規模は小さく,直江津港周辺の工場地帯への通勤者が多くなっている。虫川の白山神社境内には天然記念物の大杉がある。

上越市北部の旧町。旧中頸城郡所属。人口1万0861(2000)。高田平野北部にあり,日本海沿いに砂丘が発達し,後背地には潟湖が残る。町名もかつての潟湖大潟に由来する。大潟は1646年(正保3)の潟川の開削によって新田開発が進められ,ほとんど水田化された。1756年(宝暦6)には砂丘を切って新堀川が通じ,潟川は直接日本海に注ぐようになった。近世まで北国街道の宿場であった潟町を除けば半農半漁村である。第2次世界大戦前は直江津臨海工業地域の労働力の供給地であったが,1957年帝国石油の潟町ガス・油田が開発されて一躍石油の町となった。人工島による海底油田の開発も進められ,東京方面へのパイプラインの起点となっている。有機化学,石油精製のほか,食品工業などの工場が進出し,人口も増加している。九戸浜には石油開発に伴って温泉が噴出し,海水浴場のある鵜ノ浜温泉として観光客を集めている。JR信越本線が通じ,北陸自動車道の大潟インターチェンジがある。

上越市東端の旧村。旧東頸城郡所属。人口2480(2000)。保倉川上流,東頸城丘陵にある。近世は山五十公郷,保倉谷郷に分かれていた。中心地大島は松之山街道の宿場として発達,現在は国道253号線が通る。北部の大平はバス交通の要衝である。1997年北陸急行ほくほく線が開通し,ほくほく大島駅が開設。主産業は稲作を中心とする農業であるが,耕地の大部分は湧水や天水を利用する山腹の棚田で,経営規模も小さい。豪雪地でもあり冬季の出稼者が多く,1960年代以降人口の減少が著しい。

上越市北東端の旧町。旧中頸城郡所属。人口1万2116(2000)。高田平野北部にあり,北東部は米山を中心とする山地からなり,日本海沿いに頸城砂丘がある。中心の柿崎は近世に北陸街道の宿場町として栄え,1897年に信越本線が通じた。北部の砂丘には1935年に特殊鋼の製鋼工場が立地し,現在も町の工業の中心をなす。西部の柿川沿いの平野部は近世以降の新田開発による水田が開ける。農家では古くから冬季の酒造出稼ぎが多く,越後杜氏として知られる。民謡《三階節》《米山甚句》で名高い米山山頂には米山薬師がある。北陸自動車道が通り,柿崎インターチェンジがある。

上越市南部の旧村。旧中頸城郡所属。人口3217(2000)。東頸城丘陵南西部と高田平野南東端の低地からなり,関川支流の櫛池川の谷と扇状地に集落が発達している。近世は大部分が天領で,1693年(元禄6)には上江用水が通じ扇状地面の水田化が進められた。稲作が唯一ともいえる村の産業である。山間部には地すべり地域があるが,河川改修や地すべり関連圃場整備事業などがほぼ完了している。信越本線高田駅からバスが通じており,旧上越市への通勤者も多い。馬屋に縄文前期のクロボ遺跡,岡嶺台地南斜面には菅原古墳群がある。

上越市北部の旧村。旧中頸城郡所属。人口9538(2000)。南は旧上越市に接する。保倉川北岸にあり,村域の大部分は頸城砂丘内側の低湿な潟湖地帯である。1638年(寛永15)高田藩によって開削された大瀁(おおぶけ)用水によって水田化された新田村で,高田平野北部の穀倉地帯の中心をなす。1962年には農業構造改善事業パイロット地区の全国第1号に指定された。北西部には信越化学,三菱軽金属などが立地して直江津臨海工業地域の一部をなし,国道8号線のバイパス沿いの西福島には旧上越市にまたがって上越テクノセンターが立地する。東部の丘陵地には大池,小池があり,周囲には縄文中期の塔ヶ崎遺跡などがある。97年北越急行ほくほく線が開通,大池いこいの森駅がある。

上越市中部の旧村。旧中頸城郡所属。人口6284(2000)。高田平野東部にあり,東端は東頸城丘陵の西麓をなす。古くから開発された地で,古代の条里制の遺構が残る。溜池が多く,近世には上江用水も開かれ,上越米の中心産地となった。旧上越市に隣接することから高田,直江津への通勤者も多い。1975年に発掘された水科(みずしな)古墳群(史)がある。
執筆者:

上越市西部の旧市。荒川(関川)下流部に位置して高田平野の北半を占める。1971年高田市(1911市制)と直江津市(1954市制)が合体して成立した。人口13万4751(2000)。南部の高田地区は近世の城下町に起源をもち,現在も城址公園,士族屋敷などに城下町の遺構を残している。信越本線が通じ,スキー板,農業機械など中小の地場産業があるが,商業地域的性格が強い。一方,北部の直江津地区は荒川河口に臨んで直江津港があり,JR北陸本線,信越本線の分岐点をなす海陸交通の要地で,近隣の資源を生かした重化学工業の臨海工業地域を形成する。掘込み式の直江津港は1958年の建設で,66年開港場に指定され外国船も出入りできるようになった。昭和50年代以降,両地区の中間にある春日山地区に新庁舎,文化会館,上越教育大学などが設置されたほか,北陸自動車道と上信越自動車道のインターチェンジ,国道18号線上新バイパスも開通した。
執筆者:

上越市南西端の旧村。旧中頸城郡所属。人口5259(2000)。妙高山の北東麓にあり,関川の支流片貝川,渋江川,矢代川が流れる。中心集落の二本木は近世,信濃からの北国街道の宿場町として発達した。1912年に信越本線の二本木駅が開設され,20年には駅前に日本曹達(株)の工場が進出し,矢代川,渋江川には発電所が建設され,日本有数のソーダ生産地として発展した。1963年松ヶ峰温泉が開湯,スキー場,ゴルフ場なども開かれ,雄大な眺望と近代的な宿泊施設をもつ観光地としてにぎわっている。近くの八方平は第2次大戦前は陸軍の演習場で,戦後一時入植が進められたが,1955年に再び自衛隊の演習地となった。農業は米作を中心に加工用トマト,タバコの栽培が行われる。西福田では近年クルミの栽培が盛んである。国道18号線が通り,上信越自動車道は中郷インターチェンジまで97年開通した(上越ジャンクションまでの全線開通は99年)。

上越市西端の旧町。旧西頸城郡所属。人口3388(2000)。名立川流域にあり,北は日本海に臨む。《延喜式》に越後国名立駅が見え,河口の名立大町は近世,北陸街道の宿場町として栄えた。上越市との境をなす鳥ヶ首岬西の名立小泊の背後には,1751年(宝暦1)の地震によって生じた断層崖〈名立崩れ〉があり,小泊はこのときの崩壊性地すべりで壊滅的な被害を受けた。現在は名立漁港があり,小型底引網漁が行われる。名立川の谷には1837年(天保8)に完成した竹田用水がある。米作のほか養鶏,肉牛飼育,ニシキゴイの養殖が盛んで,1972年からはサケの人工孵化も行われている。1965年台風24号により名立川がはんらんし大被害を受けたが,上越利水総合開発事業により上流に発電用,上水用のダムが建設された。国道8号線,JR北陸本線が通じ,旧上越市直江津などへの通勤者も多い。北陸自動車道の名立谷浜インターチェンジは市町界を越え,上越市側にある。

上越市南部の旧村。旧東頸城郡所属。人口2991(2000)。東頸城丘陵の西端にあり,南東部は長野県に接する。村の中央を保倉川の支流飯田川が流れ,耕地の大部分は山腹の棚田である。飯田川上流の棚広には越後古油田の一つ牧油田があり,明治末には産油地として活気を呈していた。農業は近世以来米作を中心としていたが,昭和40年代以降,丘陵地での和牛肥育,タバコ栽培など多角化が試みられている。隣接する旧上越市への通勤者が多い。村内の宮口古墳群(史)は31基からなる古墳時代後期の群集墳として重要なものである。

上越市東部の旧町。旧東頸城郡所属。人口3733(2000)。菱ヶ岳を隔てて長野県に接する。東頸城丘陵の南に位置し,町域の中心を保倉川の支流小黒川が流れる。中心集落の安塚は南北朝時代に上杉氏に敗れた風間信濃守の直峰城跡があり,戦国時代,江戸時代を通じて交通の要衝でもあった。明治以降は郡役所が置かれ,東頸城郡の中心地となり,現在も国や県の出先機関が多い。豪雪地帯にあり,昭和30年代以降人口減少が著しい。主産業は水稲単作を中心とした農業であるが,山間の棚田が多く,経営規模は小さい。このため出稼ぎも多い。町北部ではJR上越線六日町駅から信越本線犀潟駅に通じる北越急行ほくほく線が97年完成,隣接する浦川原村に虫川大杉駅が開設。南部の須川は黄柏(おうばく)を煎じて作る胃腸薬〈百草円〉の産地として知られる。

上越市北東部の旧町。旧中頸城郡所属。人口5516(2000)。西部および中央部は高田平野,東部は東頸城丘陵を占め,豪雪地域として知られる。近世以来,溜池灌漑による稲作農業が中心で,酪農,養豚,養鯉(ニシキゴイ),タバコ栽培なども行われている。また古くから冬季の副業として酒造出稼ぎが盛んで,越後三大杜氏の一つである頸城杜氏の本場として知られた。その伝統は現在も引き継がれ,県立吉川高校には本県唯一の醸造科が設置されている(2008年3月同校は閉校)。隣接する旧柿崎町や旧大潟町の工場への通勤者も多い。東部の尾神岳(757m)周辺はキャンプ,スキーなどの観光地。長峰池のほとりには中世の山城長峰城跡がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上越」の意味・わかりやすい解説

上越(市)
じょうえつ

新潟県南西部にある市。近世の城下町高田市(1911年市制)と河口港の直江津市(なおえつし)(1954年市制)が1971年(昭和46)合併して、地域名の上越をとって上越市と改称。2005年(平成17)安塚町(やすづかまち)、柿崎町(かきざきまち)、大潟町(おおがたまち)、吉川町(よしかわまち)、板倉町(いたくらまち)、名立町(なだちまち)、浦川原村(うらがわらむら)、大島村(おおしまむら)、牧村(まきむら)、頸城村(くびきむら)、中郷村(なかごうむら)、清里村(きよさとむら)、三和村(さんわむら)を編入。2007年(平成19)特例市に移行した。

 日本海に臨む高田平野の荒川(関川)下流部にある上越後(かみえちご)を中心とした商工業都市であるが、南東部は長野県と接し、保倉(ほくら)川上流域の豪雪地帯をも含む。古くから水陸交通上の要地で、JR信越本線、えちごトキめき鉄道の日本海ひすいライン(旧、JR北陸本線)と妙高はねうまライン(旧、JR信越本線)、北越急行ほくほく線、国道8号、18号、253号、350号、403号、405号、北陸自動車道、上信越自動車道が通じる。2015年3月には北陸新幹線開業に伴い旧信越本線脇野田駅を上越妙高駅と改称して新幹線の駅が設置された。市域には、佐渡弥彦米山国定公園(さどやひこよねやまこくていこうえん)、米山福浦八景(よねやまふくうらはっけい)県立自然公園、直峰松之山大池(なおみねまつのやまおおいけ)県立自然公園、南波(なんば)丘陵北端の久比岐(くびき)県立自然公園、桑取(くわとり)川の谷と高田平野を貫流する関川の下流の荒川平野、保倉川河口の大瀁(おおぶけ)新田や頸城砂丘、潟湖地帯、東頸城傾動地塊、吉川渓谷と吉川平野などが含まれる。

 中心部は、古代は久比岐国造(くびきのくにのみやつこ)が置かれ、『延喜式(えんぎしき)』の宿駅として「水門(みなと)馬五疋(ひき)」の北陸道の伝馬制が敷かれていた湊(みなと)町で、戦国時代は上杉氏の春日山(かすがやま)城下の外港として栄えた。上杉氏会津(あいづ)移封後は堀氏が福島城に移り、江戸時代は徳川家康の六男松平忠輝(ただてる)の高田城が築城されて、加賀百万石の押さえとなる親藩が置かれ、1741年(寛保1)以降は榊原氏(さかきばらうじ)(高田藩)15万石の城下町として繁栄した。また、北国街道(ほっこくかいどう)などの街道の宿場町、在郷町としても栄えた。安塚区は、中世、上杉謙信(けんしん)の関東進出路として有名な松之山(まつのやま)街道の要衝で、直峰(のうみね/なおみね)城跡が残る。頸城区では、高田藩が近世初期、大規模な大瀁干拓事業を推進して穀倉地帯に化した。吉川区は、頸北(けいほく)の穀倉地帯で、古くから頸城杜氏(とうじ)の本場として知られる。板倉区は、飯山(いいやま)街道の要衝で在郷町として繁栄、頸南(けいなん)穀倉地帯の中心で、南東丘陵にある東山寺(ひがしやまてら)地区は中世、山岳仏教の聖地として栄え、山寺薬師や、恵信尼(えしんに)(親鸞(しんらん)の妻)廟(びょう)がある。清里区は、岡嶺(おかみね)、菅原(すがわら)などの古墳群の残る古村で、古代久比岐物部(くびきもののべ)一族の栄えた「武士郷(もののふごう)」の地といわれている。三和区は、古代は久比岐郡の里五十公(さといじみ)、美守(ひだもり)の2郷に分かれ、越後に残る唯一の条里制遺跡地であり、近世後期は上越後の天領を支配する川浦(かわうら)代官所も置かれた。牧区は、明治末期までは牧油田で知られたが、現在は廃鉱になっている。中郷区は、1920年(大正9)信越本線二本木駅前に日本曹達(ソーダ)二本木工場が誘致されて以来、カ性ソーダの町として全国的に知られた。頸城区は、第二次世界大戦後、県内初めての農業構造改善事業パイロット村に指定され、大型機械化農業による協業化のモデル村となった。大潟区は、近世は北国街道に沿う半農半漁の浜漁村で砂丘畑の野菜作りで知られたが、1958年ごろから帝国石油(現、INPEX(インペックス)ロジスティクス)の頸城油・ガス田の開発で一躍石油の町としてにぎわった。原油生産は1964年をピークにその後生産量は減退し、新興住宅地や工場地に転換しつつある。柿崎区は、理研製鋼柿崎工場をはじめとする中小工場が多い。河口港直江津は砂丘内の掘込み式新築港で拡大されて日本海岸の重要港湾に指定されている。直江津は、荒川河口右岸に信越化学工業、日本製鉄、大平洋特殊鋳造、三菱ケミカルハイテクニカなどの大工場が集中する臨海工業地帯をなし、鉄鋼、非鉄、一般機械、化学工業を主軸とする新潟県有数の工業都市。高田は住宅都市・観光都市として発展している。山村部では多くが棚田に依存していたが、都市部への就労に伴い兼業農家が増え、和牛肥育、養豚などの畜産や多角経営、園芸などの新分野開拓も行われる。

 親鸞ゆかりの浄興寺(じょうこうじ)本堂、医王寺の銅造如来坐像は国指定重要文化財。また上杉謙信再建の国分(こくぶん)寺(五智(ごち)国分寺)所蔵の木造大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)も国の重要文化財。虫川(むしかわ)の大スギは国の天然記念物。国指定史跡として春日山城跡、水科(みずしな)古墳群があり、同じく国史跡の宮口古墳群からはアスファルト塗の土玉などが出土している。地引網漁に使われた木造船「どぶね」(旧岡沢小学校保管)は国指定重要有形民俗文化財。謙信の遺品の多い林泉寺(りんせんじ)、サクラの名所高田城跡(高田城址公園)、越後三十三観音(かんのん)第1番札所の岩屋堂観音堂、菅原神社、式内社五十君(いじぎみ)神社、長峰(ながみね)窯跡などの旧跡も多い。1911年(明治44)1月、オーストリアのレルヒTheodor von Lerch(1869―1945)少佐が、日本で初めてスキーの指導を行い、日本スキー発祥地といわれる金谷山(かなやさん)スキー場も名高い。文化施設には、高田出身で「郵便の父」と称される前島密(まえじまひそか)の記念館(郵政博物館分館)、当地とゆかりのある応用微生物学者の坂口謹一郎を顕彰する坂口記念館、市立歴史博物館などがある。1978年には山屋敷(やまやしき)町に上越教育大学が創立された。面積973.89平方キロメートル、人口18万8047(2020)。

[山崎久雄]

『渡邊慶一著『越後府中文化』(1951・直江津町社会教育奉仕会)』


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百科事典マイペディア 「上越」の意味・わかりやすい解説

上越[市]【じょうえつ】

新潟県南西部の市。荒川下流部に位置し高田平野のほぼ全域のほか,東頸城(ひがしくびき)丘陵の西半を占める。1971年高田市と直江津市が合体して市制。高田は近世の城下町から発達,城跡公園,士族屋敷がいまも残り,商業地域的性格をもつ。直江津は荒川河口に臨んで直江津港があり,非鉄金属,鉄鋼,機械など大企業の集中する重化学工業の臨海工業地区をなす。北陸新幹線,信越本線,えちごトキめき鉄道,北陸自動車道が通じ,佐渡島との間に航路も通じる。高田と直江津の間の市街地も,商業施設などによって一帯化の傾向が見られ,県南西部の中心地として発展している。2005年1月東頸城郡安塚町,浦川原村,大島村,牧村,中頸城郡柿崎町,大潟町,吉川町,板倉町,清里村,頸城村,中郷村,三和村,西頸城郡名立町を編入。973.81km2。20万3899人(2010)。
→関連項目御館の乱

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世界大百科事典(旧版)内の上越の言及

【新潟[県]】より

…新潟県は北陸地方4県の中でも面積が広く,人口も多く,雪と人とのかかわりが大きいため,防雪林,市街地の雁木(がんぎ),消雪パイプ,除雪車などが早くから整備されてきた。一方,上越市高田は日本のスキーの発祥地であり,上越線沿線や妙高高原などには多くのスキー場が開設されている。また蓄積された山地の雪は貴重な水資源である。…

【今町】より

…佐渡,新潟,伏木への定期航路もあった。1954年直江津市となり,71年高田市と合併,上越市となった。【渡辺 慶一】。…

【高田】より

…新潟県南西部,上越市南部を占める旧市名。旧市は1911年市制,71年直江津市と合体して上越市となったが,現在の行政地名にはない。…

【直江津】より

…新潟県南西部,上越市の北半を占める地域で,旧市名。旧市は1954年市制,71年高田市と合体して上越市となった。…

【新潟[県]】より

…新潟県は北陸地方4県の中でも面積が広く,人口も多く,雪と人とのかかわりが大きいため,防雪林,市街地の雁木(がんぎ),消雪パイプ,除雪車などが早くから整備されてきた。一方,上越市高田は日本のスキーの発祥地であり,上越線沿線や妙高高原などには多くのスキー場が開設されている。また蓄積された山地の雪は貴重な水資源である。…

※「上越」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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