恒星、星団、星雲、銀河などの天体の位置や明るさを示した天の地図。ただし、位置の動きが大きい月、惑星、小惑星、彗星(すいせい)などの太陽系天体は通常含まれない。一般に恒星の明るさは、見かけの等級に応じて明るいほうから暗いほうにだんだん小さい丸印で示し、星団・星雲・銀河などは見かけの大きさに応じて表示することが多い。天球上の位置は適当な投影法を用いて、平面上に、赤道座標(赤経・赤緯)、黄道座標(黄経・黄緯)、銀河座標(銀経・銀緯)などで示すが、一般には赤道座標がよく使われる。赤道座標では、原点である春分点の天球上の位置が少しずつ移動し、経緯線もそれに伴って移動しているので、天体の位置が変わらなくても、位置を表す座標の値が変わってくる。そのため、星図では、かならず西暦何年の春分点を基準にしているかが明示され、2000年分点(元期)などと記される。星図は、目的の天体へ望遠鏡を向けて観測したり、彗星や新天体の発見など、各種天体観測に不可欠のものである。基本的には星表などの各種天体カタログをもとに作成される。最近はパソコンなどに表示する電子媒体のものも出されている。
最初の本格的星図は、イギリスのグリニジ天文台初代台長フラムスティードの観測データに基いて1729年に出版された『フラムスティード星図』で、ほぼ6等星まで収めていた。1863年と1877年に分けてドイツのボン天文台から出版された『ボン星図』(1855年分点)は、およそ9等星まで含み、その位置が比較的正確なため数十年前までよく利用されていた。『ボン星図』の南天への拡張としてつくられたものに『コルドバ星図』(1875年分点)がある。近年の星図として多色刷りの『ベクバル星図』(1950年分点)は1964年に当時のチェコスロバキアより出版されたもので、10等近くの星までを含み、色により種類分けがしてあるので便利である。また『SAO星図』(1950年分点)はアメリカのスミソニアン天体物理観測所から1969年に出版され、人工衛星観測用などに使われていた。もっと新しいものとしては、8.0等星までを集めた『スカイ・アトラス2000.0』(2000年分点)、9.5等星までを含む『ウラノメトリア2000.0』(2000年分点)がそれぞれ出版されており、これらはアマチュアにも広く使われている。日本国内でも、7.5等星までを収めた『標準星図2000』(2000年分点)や8.25等星までを含む『実用全天星図』(2000年分点)などが市販されている。
19世紀終わりごろから、写真術を応用し、暗い星まで一度に撮影して、全天の写真星図がつくられるようになった。これは夜空の星野(せいや)写真原板(通常はネガ)をそのまま星図としたものである。有名なものに1914年に出版された『フランクリン‐アダムズ写真星図』があり、写真等級17等までの星が記載されている。1960年代になってアメリカのパロマ天文台が48インチのシュミット望遠鏡により同じ星野を赤青2色で撮影してつくった『パロマ写真星図』は20~21等まで記録されているが、パロマ天文台から観測できない南天の一定領域は抜けている。その空白領域をパロマ写真星図とほぼ同様な規格でカバーする『ESO/SERC南天写真星図』は、アングロ・オーストラリア天文台(青色光)とチリのヨーロッパ南天文台のシュミット望遠鏡(赤色光)で撮影されたもので、1980年代に完成した。前記のパロマ写真星図とESO/SERC南天写真星図をデジタル画像化して作成した『Digitized Sky Survey』はCD-ROMとしても出版されている。
最近は、星図をパソコン画面に表示するソフトも多く出回っている。印刷された星図や写真星図と比べて、表示スケールや表示等級などを比較的自由に変えることができ、ソフトによっては、表示された星をクリックすればその星の情報が提示されたり、任意の座標や元期を選んで経緯線を描いたりもできる。軌道計算のシミュレーションやプラネタリウム表示機能も備えている場合には、太陽系天体の現在位置を表示したり、その時点で地平線上のどの方向に見えるかを示してくれたりする。15等程度の暗い星まで表示するものも少なくない。このほかに注目すべきものとして、可視光の『Digitized Sky Survey』の画像やX線・赤外線・電波などの全天探査のデジタル画像のデータベース化がある。任意の天体の周辺を表示するだけであれば、インターネットでこれらの画像を閲覧できるサイトがいくつかある。日本では、国立天文台・天文学データ解析計算センターの天文データセンターがその拠点となっている。
[北村正利・岡崎 彰]
『中野繁著『標準星図2000』第2版(1998・地人書館)』▽『天文ガイド編集部編『実用全天星図』(1999・誠文堂新光社)』▽『Wil Tirion, Roger W. SinnottSky Atlas 2000.0, Second Edition(1998, Sky Publishing Corporation, Cambridge, Massachusetts)』▽『Wil Tirion, Barry Rappaport, George LoviUranometria 2000.0, Second Edition(2001, Willmann-Bell Inc, Richmond, Virginia)』
恒星の天球上の位置と明るさとを示す図。古代の星図は天球儀と同様に天球を宇宙の外から眺めたように,すなわち星空を裏返しにかいたものが多かった。1603年に出されたバイヤーの星図は最初の裏返しでない星図である。フラムスティードの星図書《Atlas Coelestis》(1729)は彼の星表の星を図示した最初の科学的な星図であるが,昔の星図にならって神話,伝説に基づく星座の絵がかいてある。精密星図としては19世紀にボン天文台とコルドバ天文台で作成された掃天星図は合計106万の10等以上の星を示し,今も星の同定用に愛用される。ベルリン科学アカデミーの黄道帯星図は11等までを図示し,初期の小惑星の探索や1846年の海王星の探索に役だった。20世紀になってからは写真星図が作られ,フランクリン・アダムス星図(1916)は全天を206枚で覆う最初の写真星図で,尺度は15mmが天の1°に相当し,15等星までを網羅する。ウォルフ=パリザ星図(1900-08)は黄道帯の16等星まで,ほかにユニオン写真星図(1917-37),リック天文台写真星図(1972)など多数がある。もっとも暗い星を包含する最大の星図はパロマー写真星図で,赤緯-33°以北の20~21等星がうつっている。そのほか,多くの天文台の共同作業であるAC写真星図がある。一般に写真星図は正確ではあるが,明るい星の光のにじみのために近傍の微光星が隠されるのは弱点といえる。
→星表
執筆者:大沢 清輝
中国の星図には赤道に沿って展開して星座を描いた天文横図と,北極を中心に円形に展開し,赤道,黄道,入宿度線などをかき入れた極座標方式に似た天文図があった。横図形式の星図はすでに洛陽市郊外出土の前漢墳墓の二十八宿などを描いた壁画に見られ,また940年前後の敦煌(とんこう)出土の星図も二十八宿の間に紫微,太微,天市の三垣を描いた巻物である。この形式が完成したものは,宋代の蘇頌(そしよう)の《新儀象法要》(1094)の2枚の赤道帯の星図である。それには紫微垣図,北極図,南極図が付せられ,283座1464星が描かれている。周極星を中心に描いた古い星図には5世紀の北魏墳墓の星座壁画があるが,極座標的な方式で描かれ,天文学的に意味があったものは南宋の1247年に作成された淳祐石刻天文図(蘇州図ともいう)で,中国の星座体系の伝統に従って280座1433星が刻まれている。漢代以後,宇宙誌的な意味をもった二十八宿図なども多く描かれた。
執筆者:橋本 敬造
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