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加々爪直澄 かがづめ なおずみ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

加々爪直澄 かがづめ-なおずみ

1610-1685 江戸時代前期の大名。
慶長15年生まれ。加々爪忠澄の子。寛永18年父の遺領をつぎ,自身の知行をあわせて遠江(とおとうみ)(静岡県)掛塚(かけづか)藩主加々爪家初代となる。1万石。のち1万3000石。寛文10年寺社奉公として執務中不敬の振る舞いがあったとして職をとかれたが,のちゆるされた。延宝9年養子直清の処罰に連座して高知藩預かりとなる。貞享(じょうきょう)2年10月死去。76歳。駿河(するが)(静岡県)出身。通称は甚十郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

加々爪直澄

没年:貞享2(1685)
生年:慶長15(1610)
江戸前期の幕臣。大目付加々爪忠澄の子。駿河国(静岡県)生まれ。御小姓として徳川家光に仕え,御小姓組頭,書院番頭と旗本の主流を歩み,大番頭,寺社奉行を歴任して1万3000石の大名に累進。天和1(1681)年,嗣子直清が成瀬吉衛門と領地の境目争いを起こし,直清の所論に落ち度があったことから領地没収となる。直澄もこれに連座して罪を問われ,土佐藩に預けられて終わる。それよりも先の寛文10(1670)年には驕慢の振る舞いにより閉門させられてもいる。また,町奴の幡随院長兵衛の殺害等不法の所行が多かった旗本奴水野十郎左衛門の大小神祇組(白柄組)に加担して,ともに無頼の所行を働いたかぶき大名として知られた。「夜更けて通るは加々爪甲斐か,泥棒か」と,江戸市民に恐れられたと伝えられる。恵まれた家柄に生まれながら,時代に適応できず大名の地位を棒にふった愚連隊の大元祖。<参考文献>『徳川実記』

(正延哲士)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かがつめなおすみ【加々爪直澄】

1610‐85(慶長15‐貞享2)
江戸前期の旗本。3代将軍徳川家光に仕えて小姓を務め,2000俵の蔵米を給せられた。従五位甲斐守に叙任。小姓組番頭を務めたが,1634年(寛永11)家光の不興を買った。41年遺跡を継ぎ,自己の采地のうち500石を合わせて1万石を領した。御書院番頭を経て61年(寛文1)寺社奉行に昇進し,3000石を加封された。奉行として評定所の臨時の会合にも出席を命ぜられたが,70年不敬の行為が将軍に聞こえ,加えて領地の農民の紛争に対する処置正しからずとしてお預りの身となった。

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