加々爪直澄(読み)かがつめなおすみ

改訂新版 世界大百科事典 「加々爪直澄」の意味・わかりやすい解説

加々爪直澄 (かがつめなおすみ)
生没年:1610-85(慶長15-貞享2)

江戸前期の旗本。3代将軍徳川家光に仕えて小姓を務め,2000俵の蔵米を給せられた。従五位甲斐守に叙任。小姓組番頭を務めたが,1634年(寛永11)家光の不興を買った。41年遺跡を継ぎ,自己の采地のうち500石を合わせて1万石を領した。御書院番頭を経て61年(寛文1)寺社奉行に昇進し,3000石を加封された。奉行として評定所臨時会合にも出席を命ぜられたが,70年不敬の行為が将軍に聞こえ,加えて領地農民紛争に対する処置正しからずとしてお預りの身となった。直澄は当時江戸をはじめ全国の都市を横行した反秩序分子であるかぶき者の風に感化されていたとみられる。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加々爪直澄」の解説

加々爪直澄 かがづめ-なおずみ

1610-1685 江戸時代前期の大名
慶長15年生まれ。加々爪忠澄の子。寛永18年父の遺領をつぎ,自身の知行をあわせて遠江(とおとうみ)(静岡県)掛塚(かけづか)藩主加々爪家初代となる。1万石。のち1万3000石。寛文10年寺社奉公として執務中不敬の振る舞いがあったとして職をとかれたが,のちゆるされた。延宝9年養子直清の処罰に連座して高知藩預かりとなる。貞享(じょうきょう)2年10月死去。76歳。駿河(するが)(静岡県)出身通称は甚十郎。

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