加賀の一向一揆(読み)カガノイッコウイッキ

デジタル大辞泉 「加賀の一向一揆」の意味・読み・例文・類語

かが‐の‐いっこういっき〔‐イツカウイツキ〕【加賀の一向一揆】

長享2年(1488)加賀一向宗門徒僧侶国人・農民らが守護富樫政親を倒し、以後90余年にわたって加賀一国内を支配・運営した一揆

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「加賀の一向一揆」の解説

加賀の一向一揆
かがのいっこういっき

戦国期,加賀国を支配した本願寺門徒の一揆組織,および加賀門徒の一揆蜂起。加賀の本願寺門徒らは,1474年(文明6)富樫政親(とがしまさちか)と結んで守護富樫幸千代を撃破。さらにみずから守護に擁立した政親と対立,富樫泰高を擁して88年(長享2)政親を滅ぼした。この過程で「郡中」「組中」という門徒の一揆組織が複数結成され,これらが連合して国の寄合(よりあい)を行い,加賀を事実上支配した。貴族・寺社奉公衆などが本願寺を介して,加賀にある所領の安堵を一揆組織に依頼するようになり,1546年(天文15)本願寺の指令中枢かつ門徒勢力の拠点として御山御坊も造られた。外交面では本願寺配下の政治勢力として戦国大名と同盟,抗争するなどの活躍がみられる。80年(天正8)織田軍により御山御坊が滅ぼされ,本願寺が織田信長に降伏・和睦し,一揆は壊滅した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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