コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

日親 にっしん

8件 の用語解説(日親の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日親
にっしん

[生]応永14(1407).上総
[没]長享2(1488).京都
室町時代日蓮宗の僧。鐺冠 (なべかぶり) 日親と通称。号は久遠成院。中山法宣院の日英の高弟で,九州肥前での日蓮宗教団の発展に大きく寄与した。また『立正治国論』を著わし,将軍足利義教を諫言したため焼鍋をかぶせられる拷問を受けた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

にっしん【日親】

[1407~1488]室町中期の日蓮宗の僧。上総(かずさ)の人。号、久遠成院。京都で辻説法をし、本法寺を開創。「立正治国論」を著して将軍足利義教を諫言(かんげん)したため焼き鍋をかぶせられた。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

日親【にっしん】

室町時代日蓮宗の僧。上総(かずさ)の人。将軍足利義教(よしのり)に法華経のみの信仰を求め,直訴するため《立正治国論》を著したが,かえって怒りをかい,1440年逮捕・投獄された。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

日親 にっしん

1407-1488 室町時代の僧。
応永14年9月13日生まれ。日蓮宗。日英,日暹(につせん)に師事し,京都,九州など各地で布教。「立正治国論」を将軍足利義教に呈上しようとして法難をうけ,やけた鍋(なべ)をかぶせられたという伝説から「鍋かむり日親」ともよばれる。京都本法寺などをひらいた。長享2年9月17日死去。82歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。号は久遠成院。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

日親

没年:長享2.9.17(1488.10.21)
生年:応永14(1407)
室町時代の日蓮宗の僧。久遠成院という。上総国(千葉県)の人。はじめ中山法華経寺日英に師事。応永34(1427)年,上洛して弘教活動を開始。永享5(1433)年には中山門流の総導師として九州に赴き門徒を指導するが,その厳しい 折伏主義への反発によって逆に同門流から破門された。同9年,再び上洛して本法寺を建立,将軍足利義教に法華信仰の受持と他宗の排斥を勧めたが拒否され,以後の伝道も禁止される。この命令にそむき『立正治国論』を著して再度の弘教を準備中に露見して逮捕,陰茎に竹串を突き刺されたり舌先を切り取られるなどの拷問を受けた。そのとき赤く焼けた鉄鍋を頭にかぶせられたといわれ,そのことが後世,江戸時代に「なべかむり日親」と呼ばれる原因となった。嘉吉1(1441)年,義教が赤松満祐に殺害されることによって赦免,弾圧中に破壊された本法寺を再建した。寛正1(1460)年,九州巡錫の途中,他宗への激しい攻撃のため,当地の諸宗僧侶の訴えにより本法寺を破却される。日親も召喚され投獄されたが翌年には赦免,三たび本法寺を建立した。日親は日蓮以来の仏法至上主義の正統として自身の立場を強調し,諸宗や日蓮宗各派,さらにはそれを後押しする権力者に対して常に戦闘的な姿勢をとった。その肖像はやがて攘災招福の仏として庶民の信仰の対象となる。<参考文献>中尾尭『日親』

(佐藤弘夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

にっしん【日親】

1407‐88(応永14‐長享2)
室町・戦国時代の日蓮宗の僧。久遠成院と号する。幕府の弾圧にも屈せず《法華経》の信仰を主張したので,頭から焼け鍋をかむらされたという伝説から〈なべかむり日親〉として有名。上総国埴谷(現,千葉県山武町)に生まれ,中山法華経寺(市川市)において出家した。やがて〈九州の導師〉として,肥前国小城郡の光勝寺(現,佐賀県小城町)に下向したが,その指導方針が本山の意向とあわず,ついに破門された。このため1437年(永享9)に上洛し,《折伏正義抄》を著して伝道への決意を語り,《立正治国論》を著して将軍足利義教に直訴を企てたが,40年2月に捕らえられて禁獄された。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

にっしん【日親】

1407~1488) 室町時代の日蓮宗の僧。通称、鐺冠なべかむり上人。上総かずさの人。中山法華経寺を中心に修行し、京都に上って辻説法を行う。1439年「立正治国論」を著して将軍義教を諫言かんげんしたため、焼いた鍋をかぶせられたが顔色を変えなかったという。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日親
にっしん
(1407―1488)

室町中期の日蓮(にちれん)宗の僧。久遠成院(くおんじょういん)と号した。上総(かずさ)国(千葉県)の人。下総(しもうさ)国(千葉県)中山の法華経(ほけきょう)寺で修学し、21歳のときに「九州の導師」として肥前(ひぜん)国松尾(佐賀県小城(おぎ)市小城)の光勝(こうしょう)寺に赴く。しかし日親の主張する信仰は厳格であったので、領主と対立を生み、破門される。やがて上洛(じょうらく)した日親は、『法華経』の純粋な信仰を将軍足利義教(あしかがよしのり)に進言しようと、『立正治国論(りっしょうちこくろん)』を著したが、捕らえられて激しい法難を受ける。獄中で、焼けた鍋(なべ)をかむらされたということから、「鍋かむり日親」の異名がある。赦(ゆる)されてからは、京都の本法(ほんぽう)寺を中心に諸地方に伝道、30余か寺の寺院を創建した。著書に『立正治国論』のほか『折伏正義抄(しゃくぶくしょうぎしょう)』『伝燈抄(でんとうしょう)』『埴谷抄(はにやしょう)』『本法寺縁起(えんぎ)』がある。[中尾 尭]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の日親の言及

【本法寺】より

…叡昌山と号する。〈なべかむり〉の法難で有名な日親が,康正年中(1455‐57)に開創した寺で,もとは四条綾小路にあった。日親はこの寺を伝道活動の本拠とし,さらには諸地方に散在する一門の寺々の本山として位置づけた。…

※「日親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日親の関連キーワード日慈日良日親上人日調沙門日東本化意雲日延(2)日昭日典

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone

日親の関連情報