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富樫政親 とがしまさちか

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

富樫政親
とがしまさちか

[生]康正1(1455).加賀
[没]長享2(1488).6.9. 加賀
室町時代の武将。成春の子。幼名,鶴童丸。寛正5 (1464) 年泰高 (政親の大叔父) から加賀国の南半分を譲られたが,応仁の乱に細川方に属して,文明5 (73) 年山名方に属した弟幸千代と戦って加賀を追われた。

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デジタル大辞泉の解説

とがし‐まさちか【富樫政親】

[1455~1488]室町中期の武将。加賀の人。応仁の乱で細川氏の東軍に属し、蓮如の後援で西軍についた弟幸千代丸を退けて加賀を支配した。のち、本願寺門徒一向一揆と争い、高尾城に敗死。

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百科事典マイペディアの解説

富樫政親【とがしまさちか】

室町後期の加賀守護。1464年大叔父泰高の隠居により南半国守護となる。応仁・文明の乱では西軍に属する弟幸千代と争い,1474年一向衆の支援を受け幸千代勢を破った。
→関連項目加賀一向一揆吉崎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

富樫政親 とがし-まさちか

1455-1488 室町時代の武将。
康正(こうしょう)元年生まれ。富樫成春(しげはる)の子。寛正(かんしょう)5年加賀(石川県)南半国の守護。応仁の乱では東軍にくみし,文明6年蓮如(れんにょ)の援助をえて西軍の弟幸千代を蓮台寺城の戦いでやぶり,加賀一国の守護となる。長享2年一向宗弾圧に転じたため20万人の門徒による一揆(いっき)(長享一揆)がおこり,6月9日高尾(たこう)城を攻めおとされ自害。34歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

富樫政親

没年:長享2.8.22(1488.9.27)
生年:康正1(1455)
室町時代の武将。成春の子,教家の孫。父成春は叔父泰高と加賀を二分し北加賀守護職を与えられていたが,長禄2(1458)年,細川勝元が強引に赤松政則を同守護としたためこれを失う。しかし寛正5(1464)年,政親が泰高から南加賀守護職と家督を譲られ,ここに富樫両流は一本化した。応仁1~文明9(1467~77)年の応仁の乱では東軍細川勝元方に属したが,北加賀の国人衆は,赤松政則が同地より備前・播磨に転出すると政親の弟幸千代を擁立して西軍に属した。文明6年,幸千代派との抗争に勝利した政親は加賀一国を勢力下に置き,同18年には将軍足利義尚の右大将拝賀式に供奉するなど将軍家にも近侍した。次いで長享1(1487)年,義尚の近江六角高頼征討に参陣するが,この留守に一向一揆衆らが高尾城を包囲,急遽帰国する。翌年6月,一揆衆に攻められ自害。以後,泰高が一揆衆により再度守護に擁立され,守護権を行使することになる。嘉吉1(1441)年にはじまる両富樫の争いは,加賀への影響力を巡る畠山・細川両氏の争いであり,一時赤松氏が北守護となったのも,政親が泰高から家督を譲られたのも細川勝元の強い意向によるものと思われる。また泰高への守護再交替の背景には,将軍権力の強化を目指す義尚とこれに反対する細川政元の対立があり,富樫家と加賀国は幕府内権力闘争の犠牲になったともいえよう。<参考文献>井上鋭夫『一向一揆の研究』,今谷明『室町幕府解体過程の研究』

(石田晴男)

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世界大百科事典 第2版の解説

とがしまさちか【富樫政親】

?‐1488(長享2)
室町後期の加賀守護。生年は1450年代後期。次郎,富樫介を名のる。62年(寛正3)旧北半国守護成春の死去で家督を,64年大叔父泰高の隠居で南半国守護職を継承。応仁・文明の乱では東軍に属し,西軍の幸千代勢と戦い没落したが,74年(文明6)一向衆の支援を得て再入国。一国支配権の認知をめざし,将軍親征の領国外での戦役に従軍し,軍費増大等で88年一揆が勃発。高尾(たこう)城にて自害した。《官地論》は政親の最後の有様を記す。

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大辞林 第三版の解説

とがしまさちか【富樫政親】

1455?~1488) 室町中期の武将。加賀の守護。一向宗門徒を弾圧、加賀一向一揆と戦って、石川郡高尾城で敗死した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

富樫政親
とがしまさちか
(1455?―1488)

室町後期の加賀守護。幼名鶴童丸。次郎、富樫介(すけ)。1462年(寛正3)旧北半国守護であった父成春(なりはる)の死去で家督を、64年大叔父泰高(やすたか)の隠居で南半国守護職を継承。応仁(おうにん)・文明(ぶんめい)の乱時には東軍に属し、西軍の幸千代(こうちよ)(弟)勢と戦い、いったん没落。74年(文明6)、吉崎(よしざき)(福井県あわら市)に滞在していた本願寺蓮如(れんにょ)を中心とする一向(いっこう)衆の支援を得て再入国。その後一国支配権の認知を目ざし、将軍足利義尚(あしかがよしひさ)親征の六角(ろっかく)氏征伐に従軍したが、これによる軍費負担の増大などを不満として88年(長享2)一向衆を主体とする一揆(いっき)が勃発(ぼっぱつ)(長享(ちょうきょう)一揆)。この一揆を抑えられず、高尾(たこう)城(金沢市)で自害した。以後富樫氏の勢力は急速に減退していった。一揆のようすを記した『官地(かんち)論』には政親の最期が記されている。[金龍 静]

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世界大百科事典内の富樫政親の言及

【一向一揆】より

…情勢の緊迫に蓮如は衝突を回避するため吉崎を退去する。このころ,応仁の乱の余波もあって富樫家では当守護幸千代と富樫政親の兄弟は相争い,幸千代は高田門徒と結び,本願寺門徒と白山衆徒は政親を支援し抗争は宗教戦争の様相を帯びた。政親方は74年に蓮台寺城(小松市)を攻め,守護代の小杉を殺し,幸千代を追い,権力を奪取した(文明の一揆)。…

【加賀国】より

…この結果,吉崎坊が創建されてまもないころから,本願寺門徒は加賀全域で一揆を構成し,積極的な納税拒否闘争を展開する。 応仁の乱を機会に北加賀の守護赤松氏が本領の播磨などを回復すると,加賀の守護職は富樫政親と幸千代の兄弟を擁立する2派の国人によって争われることとなった。幸千代派と高田門徒の結合に対抗して,本願寺門徒もまた政親派に加勢する形で権力抗争に介入し,74年の〈文明の一揆〉で幸千代派を打倒する。…

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