百科事典マイペディア 「勝川春英」の意味・わかりやすい解説
勝川春英【かつかわしゅんえい】
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江戸中期の浮世絵師。勝川春章(しゅんしょう)の門人で、磯田(いそだ)氏、名を久次郎といった。別号九徳斎(くとくさい)。作画期は天明(てんめい)年間(1781~89)ごろから文化(ぶんか)年間(1804~18)に及ぶ。おもに役者絵を得意としたが、ほかにも狂画、武者絵、相撲(すもう)絵をはじめ版本の挿絵や肉筆画など作域は広い。とくに役者絵においては大胆な描写と優れた色彩感覚で佳作が多く、寛政(かんせい)(1789~1801)初・中期に数多く発表した大首(おおくび)絵は初世歌川豊国(とよくに)や東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)らに強い影響を与えている。
[永田生慈]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸時代の浮世絵の一流派。源流は宮川長春を祖とする宮川派に発し,長春の孫弟子勝川春章に始まる。版画では似顔絵と呼ばれる写実的な役者絵,相撲絵を得意とし,半身像の大首絵,さらには大顔絵など,対象に近接した描写形式を開発し,明和~寛政期(1764‐1801)の役者絵界を風靡(ふうび)した。また肉筆画を専門とした宮川派の伝統を引き,この派の画家には肉筆画の名手が多い。勝川派の流れはさらに北斎の葛飾派へと受けつがれた。…
…勝川春章と一筆斎文調がその功績者であり,両者合作の《絵本舞台扇(ぶたいおうぎ)》(1770)は記念碑的作例として知られる。さらに春章門下の勝川春好,勝川春英(勝川派)らにより,大判錦絵の役者半身像〈大首絵(おおくびえ)〉形式が考案され,その延長線上に鬼才東洲斎写楽が登場する。 写楽は,1794年(寛政6)の夏狂言に取材して28枚の役者大首絵を発表,彗星のように浮世絵界にデビューするが,翌年初春の作品を最後に消息を絶ってしまった〈謎の浮世絵師〉である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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