江戸中期の浮世絵師。宮川春水に師事し、勝宮川(かつみやがわ)と号したが、のち宮川派より勝川派をおこして勝川を画姓とした。俗称を要助、のち祐助といい、別号には旭朗井(きょくろうせい)、酉爾(ゆうじ)、李林(きりん)、六々庵(ろくろくあん)などを用いる。作画期は明和(めいわ)年間(1764~1772)とみられ、役者絵と美人画で独自な勢力を形成した。とくに役者絵は、一筆斎文調(いっぴつさいぶんちょう)とともに当時一流の絵師として評価され、鳥居派による旧来からの形式化した画風を革新し、似顔絵によって写実的な作風を示した。また美人画についても優れた技量を示し、美人画派として画系を保った宮川派の画法を一段と高度なものとした気品ある美人画を描いた。その代表作とされるものは、版本では一筆斎文調との合筆になる『絵本舞台扇』、北尾重政(しげまさ)と合筆の『青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)』などがあり、肉筆画では美人画の『雪月花』(三幅対)、『竹林七妍(しちけん)』『婦女風俗十二ヶ月』(全12幅対、うち2幅は歌川国芳(くによし)が描く)などが知られる。なお、春章門下からは春好(しゅんこう)、春朗(しゅんろう)(葛飾北斎(かつしかほくさい))、春英、春潮などの名手が輩出した。
[永田生慈]
『楢崎宗重編『浮世絵大系3 春章』(1976・集英社)』
(内藤正人)
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江戸中期の浮世絵師。勝川派の祖。江戸の人。名は正輝,字は千尋,通称は要助のち祐助,旭朗井(きよくろうせい),酉爾,李林,六々庵,縦画生などと号した。田所町に住す。宮川春水を師として,画姓をはじめ宮川,のちに勝宮川,さらに勝川と改めた。明和年間(1764-72)の錦絵草創期から活躍を始め,安永年間(1772-81)を中心に,それ以前の鳥居派の類型的な役者絵・芝居絵を排し,個性的な表情をとらえた役者絵,相撲絵で人気を得た。天明初年以降の晩年は肉筆画に主力を注ぎ,《雪月花図》《婦女風俗十二ヶ月図》(いずれもMOA美術館)など美人風俗画に秀作が多い。絵本に一筆斎文調との合作《絵本舞台扇》(1770),北尾重政との合作《青楼美人合姿鏡》(1776)があり,秘画もよくした。すぐれた門人を多く育て,浮世絵界に一大派閥を形成した。
執筆者:小林 忠
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1726~92.12.8
江戸中期の浮世絵師。勝川派の祖。宮川春水の門人で,画姓に宮川・勝宮川も用いた。俗称要助,のち祐助。号は旭朗井・酉爾・李林・縦画生など。像主の個性を描きわけた役者似顔絵をはじめ,1000点をこす役者絵版画を制作したといわれる。晩年は肉筆画に専念し,繊細な筆致で質の高い美人画を数多く残した。
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…長春は美人立姿の掛幅画にとどまらず,画巻や屛風にこまやかな観察をいきとどかせた風俗描写を展開,人物と衣装,季節の情感を盛る浮世絵肉筆画の良き範例を示した。この派の流れは孫弟子の勝川春章,さらには春章の弟子の葛飾北斎へと受けつがれ,宮川・勝川・葛飾派という浮世絵肉筆画の主流を形成することになる。紅摺絵期の宝暦年間は,美人画の石川豊信,役者絵の鳥居清満(1735‐85)が全盛で,俳趣の濃い詩的な風俗表現が好まれた。…
※「勝川春章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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