北上町(読み)きたかみまち

日本歴史地名大系 「北上町」の解説

北上町
きたかみまち

面積:六一・五八平方キロ

郡北東部に位置。北上山地の南部、東流して追波(おつぱ)湾に注ぐ北上川の北岸と、追波湾に面した海岸線を占める。北は翁倉(おきなぐら)山(五三二・四メートル)を最高峰とする山地で本吉(もとよし)郡志津川(しづがわ)町・津山(つやま)町と、西・南は河北(かほく)町と接する。町域西部では皿貝(さらがい)川(かつての古川堀)が東流して、北上川に橋浦(はしうら)・追波地区境で合流。河北町から国道三九八号が北上大橋を渡って橋浦地区に入り、海岸線を通って志津川町に抜ける。ほかに県道北上―河北線、町道大須―女川線、本地―長尾線、大須―釜谷崎線などがある。近世には十三浜(じゆうさんはま)が本吉郡に、他村は桃生郡に属して北方大肝入支配下にあった。町域の七五パーセントが山地という地形のため、新田開発もあまり進行せず、住民は零細な耕地で農業を行ったほか、薪・炭の産出、北上川や沿岸の漁業によって生計を立ててきた。


北上町
きたがみちよう

[現在地名]日野町村井(むらい) 北上町

本(ほん)町の北に位置する。本町通の北を並行して東西に走る北(きた)町通の東端にあたり、東は仁正寺(にしようじ)村。北町とも称した。城下町割でも位置は変わらず、北町通九ヵ町のうち。江戸時代の家役銀は全戸半役(池内記録)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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