朝日日本歴史人物事典 「北条兼時」の解説
北条兼時
生年:文永1(1264)
鎌倉後期の武将。宗頼の子。はじめは時業と称した。相模七郎,修理亮,越後守。弘安3(1280)年長門国守護。7年六波羅探題南方,10年六波羅探題北方,摂津,播磨国守護を兼帯。永仁1(1293)年モンゴル襲来に備え,名越時家と共に軍事指揮,訴訟審理を目的に九州に下向した。3年4月鎌倉幕府の評定衆に就任したが,在任6カ月で没。<参考文献>川添昭二「鎮西惣奉行所―北条兼時・時家の鎮西下向―」(『金沢文庫研究』200号)
(瀬野精一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報