精選版 日本国語大辞典 「千貫」の意味・読み・例文・類語 せん‐がん‥グヮン【千貫】 〘 名詞 〙① 目方の単位で一貫の千倍。千貫目(三七五〇キログラム)。また、ひじょうに重いことをいう。② 銭の単位で一貫の千倍。千貫文(江戸時代、二百五十両相当を規準とした)。また、ひじょうに高価なことをいう。[初出の実例]「内よりこの手もとを見て、千貫ならば売らふといへば、これを聞て肝を消し」(出典:咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)上)③ 「せんがんどい(千貫樋)」の略。[初出の実例]「千貫で駿河の田畑実のるなり」(出典:雑俳・柳多留‐五九(1812)) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「千貫」の解説 千貫せんがんどい 静岡県:駿東郡清水町新宿村千貫近世まで駿河・伊豆の国境となっていた境(さかい)川の低地を高さ一丈五尺で跨ぐ長さ三九間・幅六尺・深さ一尺五寸の掛樋。江戸時代には伊豆国三島宿の北にある小浜(こばま)池(現在は三島市一番町楽寿園のうち)から湧き出した清水を土手を築いて三島町の西部に流し、千貫樋で境川を越え新宿(しんしゆく)村の南部に入った用水は、同村および玉川(たまがわ)・伏見(ふしみ)・八幡(やはた)・長沢(ながさわ)・柿田(かきだ)の駿東郡六ヵ村を灌漑した。室町―戦国時代の史料には単に樋・樋爪・樋口とみえ、やがて日詰(ひづめ)大樋の用例がみえるようになる。また史料上に伊豆境という場合も、基本的には当樋をさしていると考えられる。成立については応永三年(一三九六)とする伝承が江戸時代に作られたが、根拠に乏しい。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報