江戸後期の画家。名は忠因(ただなお)。通称栄八。姫路城主酒井忠以(ただざね)の弟として江戸に生まれる。文芸を愛好する酒井家の血を継いで、画(え)はもちろん、俳諧(はいかい)、和歌、連歌、国学、書、さらに能、仕舞などの諸芸をたしなんだ。37歳で出家を志し、京都西本願寺の文如上人(ぶんにょしょうにん)のもとに剃髪したが、わずか十数日の滞在で江戸に戻り、翌年浅草千束(せんぞく)の庵(いおり)に移って閑居。抱一号はこのころを契機に用いられている。文政(ぶんせい)11年11月29日没。
画業は初め狩野高信(かのうたかのぶ)から狩野風を学び、また宋紫石(そうしせき)について沈南蘋(しんなんぴん)の写生画風、歌川豊春(とよはる)から浮世絵、さらに土佐派、円山派などの技法を習得、親交あった谷文晁(ぶんちょう)からも影響を受けるなど、諸派の画風を次々と学んだ。のち尾形光琳(こうりん)の作品に接して深く傾倒し、独自の立場でその作風を試み、江戸時代の装飾芸術の流派「琳派(りんぱ)」の最後を飾った。1815年(文化12)には光琳百年忌を催し、『光琳百図』『尾形流略印譜』を刊行し、また1823年(文政6)にも『乾山(けんざん)遺墨』を編するなど、光琳あるいは乾山に対する私淑ぶりがうかがえる。また光琳筆の『風神雷神図屏風(びょうぶ)』の裏面に自らの最高傑作『夏秋草図』(重要文化財、東京国立博物館)を描き付ける。色彩豊かな光琳画の装飾性に倣いながらも、繊細優美な画風をもって豊かな叙情性を追究している。ほかに『葛秋草(くずあきくさ)図屏風』(重要文化財、HOYA株式会社)、『十二ヶ月草花図』(御物)、『秋草鶉(あきくさうずら)図屏風』など、とくに草花図の優品が多い。
[村重 寧]
『千沢禎治編『日本の美術186 酒井抱一』(1981・至文堂)』
江戸後期の琳派の画家。幼名栄八,名は忠因(ただなお)。抱一のほか,屠竜,雨華庵と号す。姫路城主酒井忠以(ただざね)の弟として江戸に生まれ,早くから各種の文芸に才能を示した。狂歌は四方赤良(よものあから)(大田南畝)について尻焼猿人と号し,俳諧は馬場存義に学んで終世愛好し,句集に《軽挙館句藻》がある。また書も得意であった。画ははじめ浮世絵,南蘋(なんぴん)派,狩野派,円山派などを広く学び,親友であった谷文晁にも兄事した。浮世絵は歌川豊春の影響を強く受けた作品を残している。1797年(寛政9)江戸へ下行した西本願寺の文如の弟子となって剃髪得度,権大僧都に任ぜられて等覚院文詮暉真と称した。かつて酒井家より扶持を受けていたことのある尾形光琳にこのころから傾倒,琳派の再興を目ざすようになった。1809年(文化6)下谷金杉大塚村の雨華庵へ転居,以後ここを制作の本拠地とした。15年光琳百年忌に際して遺墨展を開催して顕彰,その成果を《光琳百図》にまとめ,同時に《尾形流略印譜》も出版し,これを契機として本格的に絵画制作へと向かった。また23年(文政6)尾形乾山の墓碑を巣鴨の善養寺に発見し,《乾山遺墨》を編集した。画風の特質は,光琳様式を基礎としながら,それを江戸の通人らしい洒脱繊細なものに変えて,古典性を払拭した点にある。代表作として光琳筆《風神雷神図屛風》(東京国立博物館)の裏面に描いた《夏秋草図》のほか,《秋草図屛風》,《四季花鳥図屛風》(陽明文庫),《十二ヵ月花鳥図》(宮内庁)など,著書に《鶯邨画譜》がある。抱一から鈴木其一,池田孤邨などに伝えられた画系を,とくに江戸琳派と呼ぶことが近年行われている。
執筆者:河野 元昭
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(仲町啓子)
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1761.7.1~1828.11.29
18世紀末から江戸で活躍した画家。姫路藩主酒井忠以(ただざね)の弟で,名は忠因(ただなみ)。1797年(寛政9)出家し,文詮暉真と称する。号は抱一・屠竜(杜竜)(とりょう)・庭柏子・鶯邨(おうそん)・雨華庵など。青年期に狩野派や浮世絵を学び,寛政後期から尾形光琳に私淑,江戸における新しい琳派様式である抱一派を確立した。文化人と広く交流があり,俳諧や狂歌でも活躍。代表作「夏秋草図屏風」(重文)「四季花鳥図巻」「十二カ月花鳥図」。
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…堂宇は火事や暴風雨などの災害にたびたびあい,現在のインド風建物は1934年の造営。境内に画家で俳人の酒井抱一や,真宗内部の教義論争〈三業惑乱(さんごうわくらん)〉に活躍した僧大瀛(だいえい)の墓などがある。【千葉 乗隆】。…
…桃山時代後期に興り,近代まで続いた造形芸術上の流派。宗達光琳派とも呼ばれ,本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し,尾形光琳・乾山兄弟によって発展,酒井抱一,鈴木其一(きいつ)が江戸の地に定着させた。その特質として(1)基盤としてのやまと絵の伝統,(2)豊饒な装飾性,(3)絵画を中心として書や諸工芸をも包括する総合性,(4)家系による継承ではなく私淑による断続的継承,などの点が挙げられる。…
※「酒井抱一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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