古代家族論(読み)こだいかぞくろん

改訂新版 世界大百科事典 「古代家族論」の意味・わかりやすい解説

古代家族論 (こだいかぞくろん)

古代家族は,たんに古代の家族というのではなく,国家の下部構造における私的占有・私的経営の発達史を検証するのにかかわる歴史学上の概念である。それは,おもにはL.H.モーガン《古代社会》,F.エンゲルス《家族,私有財産および国家の起源》の家族史研究の所論を主流にうけとめられ,日本では1930年代前半から検証がはじまった。その意味では,古代国家を歴史の発展法則との関係で理解しようとした研究方法と不可分であったのであり,また,古代の奴隷制的生産様式の具体相の考察とも不可分のものであった。その結果,日本の古代家族の特質は,基本的には地方豪族層の家父長制的奴隷制家族で,それが私的農業経営の主体になっていた,とまず解明された。さらに,そうした古代家族の形成・没落の運動法則を解明するため,古代家族の周辺の諸郷戸を含めて村落史とのかかわりにも考察の視野が広まった。そして,大小の郷戸じたいに根強く残る共同体的諸関係--たとえば家族構成・婚姻形態など--を,家族の結合紐帯を血縁地縁に求める社会学的視角も含めてみる研究がすすんだ。その結果,郷戸の奴隷制的諸関係の発展を制約した要因を重視して,郷戸の分立してくる前段階に親族共同体という概念もたてられた。

 ところがK.マルクス《資本制生産に先行する諸形態》が知られると,1950年代から研究は転機を迎え,郷戸はそこにいう農業共同体を構成する家族で,一般的には家父長制的世帯共同体と理解され,今日に至っている。ここに至るまでの考察の基本史料は律令や奈良時代の戸籍・計帳であったが,しかし一方では,それらにみる郷戸は古代の家族の実態を反映するものではないとして,法的擬制面を強調する傾向が強まった。当然,こうした論調は,家族の実態を房戸(あるいは家)に求めていた。そして,史料上も戸籍・計帳を除外する傾向も生じた。そのうちから,高群逸枝の一連の女性史研究の成果を継承しつつ,9世紀以前の農業社会における家族は,各自の私産をもちよる男女が婚姻と母系血縁紐帯で結合する流動的な生活共同体としての家が一般的で,村などの共同体を構成するには至っていないとする見解も現れた。こうした所論は,古代家族の概念に根底から対立する概念といえよう。したがって,古代家族論はまだ結論には至らず,諸説は,考察の出発点であった国家形成史の諸局面でさらに検証されていくものとみられる。
郷戸・房戸
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