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律令制下の行政組織である里郷を構成する戸。厳密には717年(養老元)以降の郷里制下および740年(天平12)以降の郷制下の戸をさすが,通常はそれ以前も含めて郷戸という。郷里制下では内部に房戸(ぼうこ)を2~3含む。現存の戸籍によれば,ほぼ20人前後で戸主のイトコ程度の範囲の父系親族および寄口(きこう)・奴婢からなる均等な戸が多いが,100人前後の戸や数人の戸もある。その性格をめぐっては,現実の家族をほぼそのまま把握したとする郷戸実態説と,50戸1里の規制や租税収取や兵士徴発のための単位編成,父系イデオロギーの導入など,種々の要因による人為的編戸を重視する郷戸擬制説とが鋭く対立し,戸籍論・共同体論・家族論にかかわる重要論点となっている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…律令制では当時の実態的な家族である家をそのまま支配の単位とはせず,若干の法的擬制を加えて戸に編成し,50戸で1里を構成した。この里は郷里制の施行以後は郷と改称されたから,以後この郷を構成する戸を郷戸と呼ぶ。郷戸には戸主が置かれ,班田収授や貢租徴税の単位とされたが,郷里制の施行期間(715‐740)にはその郷戸内部をさらに1~3の房戸にわけ,郷戸と並んで貢租徴税上の責任を負わせることが行われた。…
…その結果,日本の古代家族の特質は,基本的には地方豪族層の家父長制的奴隷制家族で,それが私的農業経営の主体になっていた,とまず解明された。さらに,そうした古代家族の形成・没落の運動法則を解明するため,古代家族の周辺の諸郷戸を含めて村落史とのかかわりにも考察の視野が広まった。そして,大小の郷戸じたいに根強く残る共同体的諸関係――たとえば家族構成・婚姻形態など――を,家族の結合紐帯を血縁・地縁に求める社会学的視角も含めてみる研究がすすんだ。…
※「郷戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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