古田大次郎(読み)ふるただいじろう

改訂新版 世界大百科事典 「古田大次郎」の意味・わかりやすい解説

古田大次郎 (ふるただいじろう)
生没年:1900-25(明治33-大正14)

大正期のアナーキスト下級官吏次男として東京で出生,早稲田大学予科法科に進み本科で政治科に転じる。雄弁会に入部し,民人同盟会から建設者同盟へ移るが,母の病没を機に厭世観が深まり,1923年春ギロチン社中浜哲らと結成。大企業相手のゆすりへの傾斜にはなじめなかったが,大杉栄の虐殺後は大阪で銀行を襲って行員刺殺,ついで和田久太郎らのテロ活動に合流し,大杉復讐(ふくしゆう)を謀って福田雅太郎(甘粕事件当時の戒厳司令官)暗殺を企てるが,24年9月逮捕,絞首刑となる。死後に出版された《死の懺悔》(1926)はベストセラーになった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀日本人名事典 「古田大次郎」の解説

古田 大次郎
フルタ ダイジロウ

大正期のアナキスト,社会運動家



生年
明治33(1900)年1月1日

没年
大正14(1925)年10月15日

出生地
東京市麴町区隼町(現・東京都千代田区)

学歴〔年〕
早稲田大学政経学科

経歴
在学中の大正9年建設者同盟に参加するが、10年脱退。アナキストに近づき、埼玉小作人社をおこしたが失敗し、解散。この頃テロリストになることを決意する。11年反逆者クラブ(のちのギロチン社)を結成していくつかの事件をおこし、小坂事件、福田大将狙撃事件などで13年検挙され、死刑を宣告されたが控訴せず処刑された。獄中記「死の懺悔」がベストセラーになった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「古田大次郎」の解説

古田大次郎

没年:大正14.10.15(1925)
生年:明治33.1.1(1900)
大正期のニヒリズム的な社会運動家。官吏の次男として東京に生まれた。大正6(1917)年麻布中学校卒業後,早稲田大学高等予科,次いで大学部英法科に入学(のち政経学科に転部),学内の民人同盟会,建設者同盟に参加。10年渡辺善寿,長島新らと小作人社を結成,機関紙『小作人』の編集責任者となる。中浜哲と知り,反逆者クラブ(のちギロチン社)を結成。資金稼ぎの銀行襲撃で一行員を刺殺した小坂事件(1923),次いで大杉栄たちの復讐を狙った福田雅太郎大将狙撃事件(1924)に関与。東京地裁で死刑の判決を受け,控訴せず刑死した。美しい心で記された回想類はベストセラーになった。<著作>『死の懺悔』『死刑囚の思い出』<参考文献>根津隆『あるテロリストの記録・古田大次郎伝』

(小松隆二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古田大次郎」の解説

古田大次郎 ふるた-だいじろう

1900-1925 大正時代の無政府主義者。
明治33年1月1日生まれ。社会主義思想に共鳴。大正11年中浜哲らとテロ結社の反逆者クラブ(のちのギロチン社)を結成。12年の銀行員刺殺事件,翌年の福田雅太郎陸軍大将暗殺未遂事件などで逮捕され,大正14年10月15日処刑された。26歳。東京出身。早大中退。著作に「死の懺悔(ざんげ)」「死刑囚の思ひ出」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「古田大次郎」の解説

古田 大次郎 (ふるた だいじろう)

生年月日:1900年1月1日
大正時代のアナキスト
1925年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の古田大次郎の言及

【ギロチン社】より

古田大次郎,中浜鉄らによって1922年に結成されたテロリストの結社。1921年,古田は農民組織化のため小作人社をつくるが成果なく,テロリズムに訴えることを決意,中浜も同調した。…

※「古田大次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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