甘粕事件(読み)アマカスジケン

デジタル大辞泉 「甘粕事件」の意味・読み・例文・類語

あまかす‐じけん【甘粕事件】

大正12年(1923)関東大震災の直後、憲兵大尉甘粕正彦らが、無政府主義者大杉栄伊藤野枝夫妻おい橘宗一を、憲兵隊司令部で殺した事件

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共同通信ニュース用語解説 「甘粕事件」の解説

甘粕事件

1923年9月1日の関東大震災直後の同16日、治安維持を目的に戒厳令が敷かれる中で起きた事件。憲兵大尉の甘粕正彦あまかす・まさひこらが、無政府主義者大杉栄おおすぎ・さかえ伊藤野枝いとう・のえ、大杉のおいで当時6歳だった橘宗一たちばな・むねかずの3人を連行、暴行を加えて殺害した。甘粕は軍法会議で懲役10年の判決を受けたが26年に仮出獄。その後中国東北部に渡って満州国建国に関与したとされ、終戦直後に自殺した。震災後の混乱に乗じて社会主義者や無政府主義者を迫害した弾圧事件の一つとされる。

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精選版 日本国語大辞典 「甘粕事件」の意味・読み・例文・類語

あまかす‐じけん【甘粕事件】

  1. 大正一二年(一九二三九月、関東大震災の戒厳令下の混乱に乗じて、憲兵大尉甘粕正彦らが、無政府主義者大杉栄とその妻伊藤野枝、および甥の橘宗一を憲兵隊に連行し、殺害した事件。

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改訂新版 世界大百科事典 「甘粕事件」の意味・わかりやすい解説

甘粕事件 (あまかすじけん)

関東大震災後の1923年9月16日に東京憲兵隊麴町分隊長甘粕正彦らが無政府主義者大杉栄らを計画的に殺害した事件。大震災による戒厳令のもとで亀戸事件など軍隊・警察による社会主義者迫害が続いたが,甘粕は東京憲兵隊特高課の森慶次郎曹長と大杉を探索し,この日大杉が妻伊藤野枝と神奈川県鶴見に弟の勇を見舞い,7歳のおい橘宗一をつれて帰宅するところを東京憲兵隊本部に連行し,3人を絞首し,死骸を構内の古井戸に埋めさせた。大杉が行方不明になると,新聞記者らの活動が始まったため,軍部も隠しきれず,20日に甘粕と森を軍法会議に送り,福田雅太郎戒厳司令官の更迭,小泉六一憲兵司令官と小山介蔵東京憲兵隊長の停職を発表した。次いで大杉ほか2人が殺害されたことが発表されたが,ほかの2人が妻と少年であることは,10月8日の初公判で初めて公表された。亀戸事件などが明るみに出されるのもこの直後である。甘粕は大杉が軍隊撤退後に混乱に乗じて不逞(ふてい)行為に出る危険があるので殺害したと述べたが,司令官の命令によるのではないかと疑われ,また憲兵隊内で犯行が行われたことに対する陸軍当局の責任が問われた。しかし軍法会議はこれらの点を追及せず,12月8日に甘粕に懲役10年,森に同3年の判決を宣告し,少年殺しで追起訴された兵3名は命令への服従として無罪となった。甘粕事件は震災への出動を機に勢力盛返しをはかった陸軍への批判を呼びおこしたが,軍部や在郷軍人は甘粕減刑運動を行った。12月16日には大杉の葬儀が行われたが,その朝には右翼の大化会が大杉の遺骨を奪取して葬儀を侮辱した。大杉派の無政府主義者もテロリズムにかりたてられ,震災1周年には和田久太郎村木源次郎が福田元戒厳司令官の暗殺を企てて失敗し,無政府主義の衰退を早めた。甘粕は3年後の1926年10月に早くも仮出獄し,陸軍の機密費で1年半ほど渡仏した。帰国後満州に渡って満州事変で策動し,満州国の陰の帝王と目されたが,敗戦で自決した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「甘粕事件」の意味・わかりやすい解説

甘粕事件
あまかすじけん

1923年(大正12)9月16日、憲兵が無政府主義者大杉栄(おおすぎさかえ)らを殺害した事件。関東大震災が起こると、軍隊や警察は混乱に乗じて社会主義者や朝鮮人、中国人を殺害した。東京憲兵隊麹町(こうじまち)分隊長甘粕正彦(まさひこ)大尉、東京憲兵隊本部付森慶次郎曹長は、無政府主義者が不逞(ふてい)行為を働くおそれがあるとして、大杉栄、伊藤野枝(いとうのえ)夫妻と甥(おい)の橘宗一(たちばなむねかず)を連行し、憲兵司令部ないし東京憲兵隊本部で絞殺し、遺体を古井戸に投げ込んだ。大杉が行方不明になると、友人安成二郎(やすなりじろう)らが探索を始め、9月20日の『時事新報』『読売新聞』も号外で大杉殺害を報じたので、軍も隠しきれず、また軍と警察の対立もあって、同日付けで甘粕を軍法会議に送致し、福田雅太郎(まさたろう)戒厳司令官を更迭、小泉六一憲兵司令官、小山介蔵東京憲兵隊長を停職処分とし、24日に事件の概要を発表した。軍法会議は12月4日、甘粕に懲役10年、森に同3年、部下3名に無罪の判決を下した。しかし、甘粕は1926年10月に釈放され、陸軍の費用で渡仏した。甘粕らの犯行は軍中央の命令によるとの説が有力である(一部に、犯行の下手人は歩兵第三連隊の将校だとする説もある)。1923年12月26日の大杉の葬儀の際、遺骨が右翼団体大化会の岩田富美夫らに奪われた。その報復のため無政府主義者古田大次郎(ふるただいじろう)らは翌1924年9月1日、福田雅太郎大将狙撃(そげき)事件を起こした。大杉の死によりアナキズム運動は大打撃を受けることになった。

[吉見義明]

『角田房子著『甘粕大尉』(中公文庫)』

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百科事典マイペディア 「甘粕事件」の意味・わかりやすい解説

甘粕事件【あまかすじけん】

1923年9月16日,関東大震災の混乱に乗じ,憲兵大尉甘粕正彦らが無政府主義大杉栄伊藤野枝夫妻,甥(おい)橘宗一を東京憲兵隊本部に連行,隊内で虐殺した事件。軍法会議で甘粕は10年の刑を受けたが3年で出獄,満州に渡り協和会幹部などを歴任,政界の黒幕的存在となった。
→関連項目アナ・ボル論争亀戸事件虎ノ門事件

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「甘粕事件」の解説

甘粕事件
あまかすじけん

1923年(大正12)9月16日,関東大震災の戒厳令下で憲兵大尉の甘粕正彦ら5人が大杉栄・伊藤野枝(のえ)夫妻と甥の橘宗一を扼殺した事件。亀戸事件・朝鮮人虐殺事件と並ぶ不法弾圧事件。関東大震災の発生とともに「不逞(ふてい)鮮人」暴動の流言蜚語が流され,東京市および周辺に戒厳令が布かれ,自警団が組織され,虐殺が行われた。新宿柏木に住んでいた大杉も自警団に参加していたが,16日野枝とともにその妹を鶴見に見舞い,甥を連れ帰る途中,自宅近くで甘粕らに強制的に憲兵隊本部に連行され,虐殺された。軍法会議では甘粕に懲役10年の判決が下された。実際の犯人は麻布の第3連隊との説もある。甘粕は26年10月出獄,のち満州に渡り,満州国協和会中央本部総務部長など重要ポストに就いた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「甘粕事件」の解説

甘粕事件
あまかすじけん

1923年9月,甘粕正彦憲兵大尉が大杉栄夫妻を殺害した事件
関東大震災の混乱の際に,東京憲兵隊分隊長甘粕らは,大杉栄・内妻の伊藤野枝と甥の橘宗一を外出先で検束し虐殺した。甘粕は軍法会議で懲役10年の判決をうけたが,'26年10月釈放され,満州国協和会の最高幹部におさまった。

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