合同法(読み)ごうどうほう(その他表記)Act of Union

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「合同法」の意味・わかりやすい解説

合同法
ごうどうほう
Act of Union

1707年5月1日に発効した,グレート・ブリテン王国という名称でイングランド・スコットランド合同が成立した条約。1603年以来,イングランドとスコットランドは同じ君主のもとで統治されていたが,1688~89年の名誉革命ののち,より緊密な連合を目指して頓挫し,1703~04年には両国の議会は険悪な対立にいたった。しかし双方の政治家たちは,両国合同の具現化こそが,にわかに緊急性を帯びた問題の解決策であることを認識し始めていた。その問題とは,スコットランドにとっては経済的保障と物質的支援の必要性であり,イングランドにとってはフランスからの攻撃やジャコバイトによるジェームズ2世復位の画策への政治的な予防措置の必要性であった。イングランド側の交渉上のカードは交易の自由であり,スコットランド側のカードはハノーバー家(→ハノーバー朝)による王位継承の黙諾であった。いずれも合同を協議する委員たちに受け入れられ,1706年7月合意に達した。両王国は統合されることになり,プロテスタントの君主による王位継承や,グレート・ブリテンおよびその領土の全域で対等な交易の自由,課税統一などが決まった。スコットランドの法律と裁判所は維持されることになったが,統合された議会では,スコットランドは庶民院(下院)45議席と貴族院(上院)16議席しか与えられなかった。また条約に付属した法律で,長老派のスコットランド教会と監督派のアングリカン・チャーチはこれを変えないことが定められた。

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世界大百科事典(旧版)内の合同法の言及

【グレート・ブリテン・アンド・アイルランド連合王国】より

…1801年,アイルランドがイギリスに併合されて以来,1922年アイルランド自由国が成立するまでのイギリスの公式の国名。1800年の合同法Act of Unionによって,翌年1月1日以降アイルランド議会は廃止され,イギリス庶民院に100名,貴族院に28名の議員を送ることを認められた。この合同により,アイルランド自治はほぼ完全に否定された。…

【乱数】より

…その方法は現在では使われていないが,それに代わってその後考案されたいろいろな方法がいまでも使われている。もっとも古典的なものは線形合同法とよばれているもので,次のような簡単な数式(漸化式)を使うものである。
[線形合同法]
 xn=axn-1+b(mod m),n=1,2,…ここで,mはコンピューターの中で普通に表現できる最大の整数に近い正整数,aはかなり大きい正整数,bは正整数または0である。…

※「合同法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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