吉原郷(読み)よしわらごう

日本歴史地名大系 「吉原郷」の解説

吉原郷
よしわらごう

和名抄多度たど吉原よしはら郷の郷名を継いだ中世郷。吉原町を遺称地とし、一帯に比定される。郷内に空海が唐より帰国後密教修行の道場として建立したという曼荼羅まんだら寺がある。治暦三年(一〇六七)八月の同寺善芳解(東寺百合文書)によると寺の近辺は石手村といい、四至は「東限六条九里一坪東畔 南限山 西限奈良隈尾前 北限六条九里陸坪北横畔」とある。南の山は我拝師がはいし山である。康平五年(一〇六二)一〇月二一日に本寺の京都東寺政所に提出した解状(案、東寺百合文書)によると、曼荼羅寺領の田地六町・畠一〇町余は寺近辺の公領に交じって散在していた。田地は国司によって免租が認められていたが、仏法を軽んじる国司の代には収公されることもあったという。


吉原郷
よしはらごう

「和名抄」高山寺本・流布本に「吉原」と記し、流布本・伊勢本に「与之波良」の訓がある。東は姫原ひめばら郷、西は高尾たかお郷、南は温泉おんせん埴生はにゆう郷、北は堀江ほりえ湾に臨む。「南海通記」に河野通茂が吉原郷柏谷かやたに城にいたとあり、柏谷城がのちの下伊台しもいだい(現松山市)にあることから、この地域にあてる説がある。


吉原郷
よしはらごう

「和名抄」高山寺本は郷名を欠く。東急本は「与之」、刊本は「与之波良」と訓を付す。郷名は古代・中世を通して善通寺に関係する史料にみえ、中世には吉原よしわら庄もみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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