日本歴史地名大系 「吉方村」の解説
吉方村
よしかたむら
鳥取城下の南、城下を出た
藩政初期は上・下二村に分れていたが、元禄国絵図作成時に上吉方村が下吉方村を合併した(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。元禄郷帳および正徳元年(一七一一)の郷村高辻帳には上吉方村とみえる。享保元年(一七一六)の郷村高辻帳では付箋に吉方村と記し、以後天保郷帳などでは吉方村となっているが、通称は古くから吉方村であったとみられる。「鳥府志」は当時、
藩政期の拝領高は一千七六石余、本免五ツ三分。安政五年(一八五八)の生高一千一一〇石余、うち二〇〇石は
吉方村
よしかたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報