吉田正男(読み)ヨシダマサオ

デジタル大辞泉 「吉田正男」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐まさお〔‐まさを〕【吉田正男】

[1914~1996]野球選手・評論家愛知の生まれ。高校野球では中京商業のエースとして甲子園で3連覇。明大では外野手として5度の東京六大学リーグ優勝を果たした。卒業後都市対抗野球活躍。のちアマチュア野球評論家。

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20世紀日本人名事典 「吉田正男」の解説

吉田 正男
ヨシダ マサオ

昭和期の社会人野球選手,野球評論家



生年
大正3(1914)年

没年
平成8(1996)年5月23日

出生地
愛知県一宮市

学歴〔年〕
明治大学卒

主な受賞名〔年〕
橋戸賞〔昭和14年〕,中部スポーツ賞〔平成3年〕

経歴
中京商(現・中京高)野球部投手として昭和6、7、8年春・夏連続甲子園に出場、夏の大会3連覇を果たす。8年の準決勝、対明石戦は延長25回の大熱戦の末1-0でサヨナラ勝ち。甲子園通算23勝は最多記録。明大時代は東京六大学で5度優勝。その後藤倉電線に入り、14年に都市対抗で優勝するなどチーム黄金時代を築いた。39年より中日スポーツ記者。のち、野球評論家として健筆をふるった。アマ球界での業績が評価され、平成4年殿堂入り。


吉田 正男
ヨシダ マサオ

昭和期の林学者 東京大学名誉教授;東京農工大学名誉教授



生年
明治26(1893)年7月8日

没年
昭和51(1976)年7月9日

出生地
大分県

学歴〔年〕
東京帝大農科大学林学科〔大正7年〕卒

学位〔年〕
農学博士〔昭和3年〕

経歴
東大助手、助教授を経て、昭和8年教授。16年林業試験場長兼任。25年同大農学部長となった。29年退官、名誉教授。30年東京農工大学長、34年退任、同大名誉教授。また日本学術会議会員、大日本山林会会長、帝国森林会会長なども務めた。昭和初期、ドイツ経営経済学を紹介し、法正林思想を基調に日本森林経営学の体系化に尽力した。著書に「測樹学要論」「理論森林経理学」「林業経営学通論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田正男」の解説

吉田正男(2) よしだ-まさお

1914-1996 昭和時代の野球選手。
大正3年4月14日生まれ。中京商業(現中京大中京高)のエースとして昭和6年から夏の甲子園で3連覇。8年の明石中学との準決勝では延長25回を投げぬく。春・夏で通算23勝。明大でも東京六大学リーグで5度の優勝に貢献。藤倉電線にはいり,14年都市対抗で優勝。39年から中日スポーツ記者として活躍した。平成4年野球殿堂入り。平成8年5月23日死去。82歳。愛知県出身。

吉田正男(1) よしだ-まさお

1893-1976 昭和時代の林学者。
明治26年7月8日生まれ。昭和8年母校東京帝大の教授となり,林業試験場長などを兼務。のち東京農工大学長。大日本山林会会長,帝国森林会会長などを歴任。日本の森林経営学の体系化につくした。昭和51年7月9日死去。83歳。大分県出身。著作に「測樹学要論」「理論森林経理学」など。

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