吉野織部之助(読み)よしの・おりべのすけ

朝日日本歴史人物事典 「吉野織部之助」の解説

吉野織部之助

没年:寛永16(1639)
生年:生年不詳
江戸前期の新田開発者。戦国期武蔵国忍城(行田市)城主成田氏家臣。天正18(1590)年秀吉の関東攻略により成田氏が没落すると多摩郡師岡村(青梅市)に土着して武蔵野を開発し,村づくりの一典型を示した。織部之助の著とされている『仁君開村記』(1611~18年成立)によれば,新町村は日本七道六十六州になぞらえて,原野に道路7筋を入れ,江戸道の両側に33屋敷ずつ平均2町歩を区画し,深井戸5本を掘削,元和3(1617)年には月に2回の市立てにも成功したという。出百姓も漸増し,武蔵野台地の畑作新田村造成の先駆となった。<参考文献>「仁君開村記」(『東京都古文書集』9巻)

(大舘右喜)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉野織部之助」の解説

吉野織部之助 よしの-おりべのすけ

?-1639 江戸時代前期の開拓者。
もと武蔵(むさし)忍(おし)城(埼玉県)成田氏の家臣。農民となり武蔵多摩郡(東京都)下師岡村の名主をつとめる。慶長16年から代官大久保長安(ながやす)の許可をうけ武蔵野初の開拓村である新町(しんまち)村をひらき,月2回の市立てにも成功。その経過を「仁君開村記」にまとめた。寛永16年死去。名は正濤。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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