名取熊野三社(読み)なとりくまのさんしや

日本歴史地名大系 「名取熊野三社」の解説

名取熊野三社
なとりくまのさんしや

[現在地名]名取市高館熊野堂・高館吉田

高館たかだて丘陵の北東麓、高館熊野堂の岩口上くまのどうのいわくちかみにある熊野新宮(現熊野神社)、同五反田ごたんだにある熊野本宮社、高館吉田よしだの字館山たてやまにある熊野那智くまのなち神社の総称那智神社は高館山中腹の名取平野を見下ろす所に鎮座し、新宮社は丘陵北端の名取川辺、その上流に本宮社がある。祭神は那智神社が事解男神ほか六柱、新宮社が速玉男神ほか六柱、本宮社が伊弉諾神ほか五柱。新宮社は旧県社。別当岩口中いわくちなかの真言宗智山派新宮寺が勤めていた。「熊野堂村安永風土記」などによれば、下余田しもよでんに熊野神を信仰する老女がおり、年老いて紀州熊野へ参詣することができなくなったので家の傍らに小社を建てたのがはじまりで、保安四年(一一二三)別の地に社殿を造営して移したのが、のちの熊野三社であるという。保元三年(一一五八)頃までに成立した藤原清輔の「袋草子」には、熊野御歌として「道とほく年もやうやう老にけり思ひおこせよ我も忘れじ」の歌を載せ「是は陸奥国より毎年参詣しける女の年老之後、夢にみし歌也」とある。「新古今集」にもこれをふまえ、「みちとほしほどもはるかにへだたれりおもひおこせよ我もわすれじ」の一首がみえる。いずれも「陸奥国の老女」にちなむ歌とあり、これが熊野三社と関連して「名取の老女」の伝承が定着したのであろう。伝世阿弥作の謡曲「護法」は「陸奥国の老女」を「名取の老女」に置きかえ、伝承を脚色している。

吾妻鏡」文治五年(一一八九)九月一八日条によれば、奥州合戦の際藤原氏方に「泰衡一方後見熊野別当」がおり、この日源頼朝方に降った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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