吾妻徳穂(読み)アヅマ トクホ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吾妻徳穂」の解説

吾妻 徳穂
アヅマ トクホ


職業
日本舞踊

肩書
吾妻流宗家,日本芸術家会議名誉会長,全日本舞踊連合会名誉会長 日本芸術院会員〔昭和61年〕

本名
山田 喜久栄

別名
前名=藤間 喜久栄,吾妻 春枝,女優名=藤間 春枝

生年月日
明治42年 2月15日

出生地
東京市 京橋区銀座(東京都 中央区)

学歴
泰明小〔大正9年〕卒

経歴
父は歌舞伎俳優の15代目市村羽左衛門、母は日本舞踊家の藤間政弥。母と2代目河原崎権十郎の間に異父姉、異父兄がおり、異父兄は河原崎薫を名乗ったが早世した。大正3年母、7代目坂東三津五郎、6代目尾上菊五郎に師事して舞踊修行を初め、同年「玉兎」で初舞台。11年藤間流の名取りとなり、藤間喜久栄の名を許された。14年帝劇第7期生として女優を志し、大倉喜八郎命名による藤間春枝の名で出演。15年心座の舞台「飢渇」に出演、演出にあたった今日出海に恋愛感情を持つが、坂東一鶴(4代目中村富十郎)と駆け落ちし、昭和4年入籍。5年新しい舞踊芸術を目ざして春藤会を設立し、本格的に舞踊家として出発。8年父を宗家とする吾妻流4代目家元継承、藤間喜久栄の名を返上して吾妻春枝を名乗った。13年内弟子で、少女時代からの友人である女優・筑波雪子の弟、藤間万三哉と駆け落ち、14年4代目富十郎との離婚が成立し、15年正式に入籍した。吾妻流の2代目宗家であり、17年吾妻徳穂と改名。21年戦後初の舞台となる第1回吾妻夫婦会「お夏清十郎恋の帯」を開催。25年4代目富十郎との間に生まれた長男・吾妻徳隆(5代目中村富十郎)に吾妻流家元を譲り、宗家だけの立場となった。29年“アヅマカブキ”を創設して欧米公演を行い、歌舞伎舞踊の海外紹介に大きな役割を果たした。32年その功績により芸術選奨文部大臣賞を受賞。同年夫がガス漏れ事故により急逝。34年米国の永住権を取得、拠点を米国に移したが、36年自動車事故に遭い、踊りを断念する覚悟帰国。40年第1回三趣の会を開催し、本格的な再出発を図る。49年三趣の会を徳穂の会に改名。53年孫の吾妻徳弥に吾妻流家元を譲った。女流舞踊家の第一人者として活躍し、42年日本芸術院賞を受賞。61年日本芸術院会員、平成3年文化功労者に選ばれた。夫とのコンビで「王朝」「静物語」「長崎踏絵」「院の月」「雪女」などを生み出した他、代表作に「菊」「赤猪子」「藤戸の浦」などがある。自伝「踊って躍って八十年」がある。

所属団体
日本舞踊協会,全日本舞踊連合会

受賞
芸術選奨文部大臣賞〔昭和31年〕,日本芸術院賞〔昭和42年〕,文化功労者〔平成3年〕 紫綬褒章〔昭和51年〕,勲四等宝冠章〔昭和57年〕 舞踊ペンクラブ演技賞〔昭和41年・42年〕,芸術祭賞奨励賞〔昭和41年〕,芸術祭賞〔昭和43年〕,東京都文化賞(第1回)〔昭和60年〕,東京都名誉都民〔平成6年〕

没年月日
平成10年 4月23日 (1998年)

家族
夫=藤間 万三哉(日本舞踊家),長男=中村 富十郎(5代目),孫=吾妻 徳弥(吾妻流家元),父=市村 羽左衛門(15代目),母=藤間 政弥(日本舞踊家)

伝記
心に残る人々女三昧芸三昧―如是の華踊って躍って八十年―想い出の交遊記 白洲 正子 著吾妻 徳穂 著吾妻 徳穂 著(発行元 講談社婦人画報社読売新聞社 ’96’90’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「吾妻徳穂」の解説

吾妻 徳穂
アヅマ トクホ

大正〜平成期の日本舞踊家 吾妻流宗家;日本芸術家会議名誉会長;全日本舞踊連合会名誉会長。



生年
明治42(1909)年2月15日

没年
平成10(1998)年4月23日

出生地
東京・銀座

本名
山田 喜久栄

学歴〔年〕
泰明小卒

主な受賞名〔年〕
芸術選奨文部大臣賞〔昭和31年〕,日本芸術院賞〔昭和42年〕,紫綬褒章〔昭和51年〕,勲四等宝冠章〔昭和57年〕,文化功労者〔平成3年〕,東京都名誉都民〔平成6年〕

経歴
父は名優・15代市村羽左衛門、母は藤間政弥。大正3年の5歳の時、「玉兎」で初舞台。昭和4年、後の4代目中村富十郎と結婚。5年新しい舞踊芸術を目ざして春藤会設立。以来毎年、作品を発表した。8年父・羽左衛門より吾妻流を受け、吾妻春枝の名で4代目家元になる。14年藤間万三哉と結婚。17年吾妻徳穂と改名。戦後の活躍はめざましく、夫・藤間万三哉とのコンビで「芦刈」「王朝」「静物語」など次々と新作を発表。また29年から2年間、“アヅマ・カブキ”を結成して欧米公演を行い、歌舞伎舞踊の海外紹介に大きな役割を果たした。その後も「菊」「赤猪子」など多くの名作を生み、女流舞踊家の第一人者として活躍。54年比叡山で得度。平成8年国立大劇場で米寿徳穂の会が開かれた。著書に「女でござる」「世界に踊る」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吾妻徳穂」の意味・わかりやすい解説

吾妻徳穂
あづまとくほ
(1909―1998)

日本舞踊吾妻流宗家。東京生まれ。本名山田喜久栄。父は15世市村羽左衛門(うざえもん)といわれ、母は藤間政弥(まさや)。母や7世坂東三津五郎(みつごろう)らに師事。14歳で藤間春枝を名のる。1924年(大正13)帝劇女優養成所に入り、1930年(昭和5)舞踊家として出発。「春藤会」を発足させ、新舞踊運動のスターの一人として活躍した。中絶していた吾妻流を1933年に再興、吾妻春枝となり、1942年、徳穂と改名。華麗な舞台、芸風で知られた。1954年にアズマカブキのアメリカ公演、1955~1956年に欧米公演を行い、本格的な日本舞踊初の海外公演として大きな足跡を残した。1965年から「徳穂の会」を始め、『赤猪子(あかいこ)』『藤戸の浦』などの秀作を発表。1978年孫の徳彌に家元を継承させ、宗家となる。1985年、日本舞踊の興行化を目ざして「をどり座」の第1回公演を行い、第8回まで続けた。1991年(平成3)文化功労者。

[如月青子]

『吾妻徳穂著『おどり』(1967・邦楽と舞踊出版社)』『吾妻徳穂著『踊って躍って八十年』(1988・読売新聞社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吾妻徳穂」の意味・わかりやすい解説

吾妻徳穂
あづまとくほ

[生]1909.2.15. 東京
[没]1998.4.23. 東京
日本舞踊家。吾妻流2世宗家。本名山田喜久栄。初め藤間流に学び 1922年名取,藤間喜久栄を名のる。のち女優養成所に入り藤間春枝の名で舞台に立ったが,33年藤間流家元藤間勘斎の了解のもとに,15世市村羽左衛門より,とだえていた吾妻流再興の許しを得て,4世家元となり,吾妻春枝と改称。さらに 39年1世宗家の羽左衛門から受継いで2世宗家を兼ねる。 42年に徳穂と改め,50年より一時期,家元を長男坂東鶴之助 (現中村富十郎) に譲ったが,再び自身に家元を戻したのち,78年,孫の徳弥に6世家元を継承させた。 1954年にアメリカ,55年にはヨーロッパに「アヅマ・カブキ」と称して舞踊団を率いて公演するなど,海外に日本の舞踊を紹介した。 86年日本芸術院会員,91年文化功労者。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吾妻徳穂」の解説

吾妻徳穂 あづま-とくほ

1909-1998 大正-平成時代の日本舞踊家。
明治42年2月15日生まれ。15代市村羽左衛門の娘。5代中村富十郎の母。大正3年初舞台。昭和5年春藤会設立。8年父より吾妻流をうけつぎ吾妻春枝と名のり4代目家元となる。17年徳穂と改名。戦後夫の藤間万三哉と「アヅマカブキ」を結成し,欧米に歌舞伎舞踊を紹介。61年芸術院会員。平成3年文化功労者。平成10年4月23日死去。89歳。東京出身。本名は山田喜久栄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「吾妻徳穂」の解説

吾妻 徳穂 (あづま とくほ)

生年月日:1909年2月15日
大正時代-平成時代の日本舞踊家。吾妻流宗家
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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