改訂新版 世界大百科事典 「文字改革」の意味・わかりやすい解説
文字改革 (もじかいかく)
Wén zì gǎi gé
中国では,甲骨文の時代から今日に至るまで漢字を用い,その表意文字・表語文字としての性格を変えることはなかった。そのために,漢字はおびただしい数にのぼり,その形も複雑にならざるをえなかった。しかも伝説によれば,漢字は黄帝の史官蒼頡(そうけつ)の考案になるといわれ,亀甲獣骨に刻まれた文意から察しても,漢字はその初めから統治者の専有物であり,庶民とは何のかかわりもないものであった。ところが,清代に入って,ヨーロッパ文明との接触が頻繁となるにつれて,知識人のあいだに,中国旧文明に対する反省が始まり,やがて清帝国の崩壊,続いて五・四運動へと進展するとともに,中国文明の停滞が漢字にあることに気がついた。その結果,この運動の中で,ことばと文字の問題を真剣にとりあげるようになり,白話文運動となってあらわれ,続いて国語運動となってあらわれた。白話文運動の目的は〈書きことば〉と〈話しことば〉との距離をちぢめることにあり,解放後はさらにその距離をなくすべく,大衆語運動にまで発展した。国語運動は〈話しことば〉の基準となる国語の統一を目的とし,とりわけ,標準音とその表記法についての検討が行われて,解放後における〈普通話〉(共通語)の成立につながっていった。
1940年,毛沢東は〈文字は一定条件のもとで改革しなければならない〉とのべ,51年には〈世界の文字と共通の表音化の方向にむかわねばならない〉とのべて,中国における文字改革の方針を明らかにした。その具体的な作業については,周恩来が58年〈当面の文字改革の任務〉の中で,(1)漢字の簡化,(2)普通話の普及,(3)漢語拼音(ピンイン)方案の制定の三つをあげ,その理由を要領よくまとめている。そこで漢字をしばらく現状のまま用いるということになると,字数を減らすことと,画数を減らす必要がある。まず字数の多い理由の一つとして,異体字の問題があげられる。55年12月,中華人民共和国文化部と中国文字改革委員会から〈第一批異体字整理表〉が公布され,1865字を1055字に整理している。なお,56年から64年にかけて地名に用いられる特異な字についても常用の字に改めるよう指示している。画数を減らすことについては,64年5月,文字改革委員会から3表からなる〈簡化字総表〉が出された。また中国における方言はきわめて複雑で,ことに発音についてはその差が大きい。文字改革に先だち普通話の普及が必要なことはいうまでもない。普通話は北京音を標準ときめられ,この普通話を正しく記すために,57年ローマ字による字音表記法を定めた〈漢語拼音方案〉が国務院から公布された。
→簡体字
執筆者:辻本 春彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報