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瞿秋白 くしゅうはく Qu Qiu-bai

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

瞿秋白
くしゅうはく
Qu Qiu-bai

[生]光緒25(1899).1.29. 江蘇,武進
[没]1935.6.18. 福建,長汀
中国の革命家,文学者。本名,霜。秋白は筆名。ほかに筆名多数。北京ロシア語専門学校在学中,五・四運動に参加。のちモスクワ中国共産党に入党,帰国して中国共産党中央委員となり (1923) ,陳独秀のあと総書記となったがまもなく辞任。

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デジタル大辞泉の解説

く‐しゅうはく〔‐シウハク〕【瞿秋白】

[1899~1935]中国の政治家・文学者。江蘇省の人。五・四運動に参加。ソ連に新聞記者として滞在し、帰国後、中国共産党中央委員などを歴任。ロシア文学の翻訳や文芸評論で活躍。国民党軍に逮捕、銃殺された。チュイ=チウパイ。

チュイ‐チウパイ【瞿秋白】

くしゅうはく(瞿秋白)

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百科事典マイペディアの解説

瞿秋白【くしゅうはく】

中国の革命家,文学者。名は霜。江蘇省出身。ロシア語を学び《晨報(しんぽう)》特派員として十月革命直後のモスクワへ行き,《革命のモスクワへ》《赤都心史》などを書いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

くしゅうはく【瞿秋白 Qú Qīu bái】

1899‐1935
中国の文芸理論家,翻訳家,革命家。江蘇省常州の出身。没落読書人の家に生まれ,北京のロシア語専門学校を卒業。ジャーナリストとして訪ソ,1922年モスクワで中国共産党に入党し,以後理論家として党機関誌に活躍,27年国共分裂の後,陳独秀らの指導を批判して八七会議を主宰,コミンテルンバックに党の主導権を握り,28年まで秋収蜂起等一連の都市コミューン成立をねらった蜂起を指導したが,蜂起失敗の責任を問われて総書記を辞任した。

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大辞林 第三版の解説

くしゅうはく【瞿秋白】

1899~1935) 中国の革命家・文学者。江蘇省出身。中国共産党初期の指導者の一人。左翼作家連盟に参加し、ロシア文学やマルクス主義芸術論を翻訳し、文芸批評に活躍する。漢字のラテン字母化運動などを起こしたことでも知られる。国民党軍に逮捕され、銃殺。著「瞿秋白文集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

瞿秋白
くしゅうはく / チュイチューバイ
(1899―1935)

中国の革命家、文芸評論家。名は霜、筆名に宋陽、史鉄児、易嘉など。江蘇(こうそ)省常州(じょうしゅう)の出身。北京(ペキン)ロシア語専修館在学中、五・四運動(1919)に参加し、社会の矛盾に目覚めた。1920年『北京晨報(しんぽう)』記者としてモスクワに駐在し、1922年中国共産党員となった。このときの見聞録『革命のモスクワへ』『赤都心史』は有名。帰国後、中国共産党中央の要職を歴任、陳独秀(ちんどくしゅう)にかわり第一線にたつが、1931年、政治上の失敗で引責辞任。以後、上海(シャンハイ)で文芸活動に従事。『魯迅(ろじん)雑感選集序言』(1932)、『海上述林』などの著訳がある。この間、文芸大衆化論争、第三種人論争(「第三種人」を称する文学者と瞿秋白ら中国左翼作家連盟との論争)に加わった。1935年、国民党政府により逮捕、銃殺された。[前田利昭]
『増田渉訳『革命のモスクワへ』(『中国現代文学選集3』所収・1963・平凡社) ▽金子二郎訳『魯迅雑感選集』(1953・ハト書房) ▽楊之華著、新島淳良訳『回想の瞿秋白』(『中国現代文学選集17』所収・1963・平凡社)』

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世界大百科事典内の瞿秋白の言及

【嚮導】より

…二全大会当時には,労動組合書記部機関誌《労動週刊》は発禁,理論機関誌《共産党》は停刊,《新青年》はきわめて不定期だったから,《嚮導》の果たした役割は大きい。主編は陳独秀,蔡和森が協力し,瞿秋白,彭述之,鄭超麟らの文章が多い。瞿秋白はまた中央機関誌《前鋒》(広州,1~3期,1923年7月~24年2月)をも主編した。…

【広州コミューン】より

…パリ・コミューンにちなんだ名称である。国共合作崩壊後,瞿秋白(くしゆうはく)を中心とする中共指導部が,大衆的基盤をもつ広州でおこしたもので,秋収蜂起等の極左路線の一環である。葉挺らの指導のもとに,12月11日早朝,2000余の武装労働者の隊伍が広州全市を制圧してソビエト政府を樹立した。…

【中国文学】より

…左聯は魯迅を事実上の指導者として厳しい後退戦を続けたが,闘いを通じて若い文芸家を数多く育て,そのうち周揚,夏衍(かえん),田漢,陽翰笙(ようかんしよう)などは,人民共和国成立後も長く中国文芸界の指導的地位についた。この間,瞿秋白(くしゆうはく)は,魯迅のかたわらにあって,左翼文芸理論の確立に貢献した。しかし,こうした左翼文学運動には党員のセクト的傾向が終始つきまとい,いわゆる〈自由人〉や〈第三種人〉を標榜するリベラルな文学者をおしなべて〈敵〉として攻撃・排除したことで,みずから戦線を狭くしていったことも認めなければならない。…

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