和珅(読み)わしん(その他表記)Hé Shēn

改訂新版 世界大百科事典 「和珅」の意味・わかりやすい解説

和珅 (わしん)
Hé Shēn
生没年:?-1799

中国,清代中期の権臣満州語ではHesenと発音する。姓は鈕祜禄(ニオフル)氏。満州正紅旗の人。1772年(乾隆37)侍衛となり,乾隆帝寵愛をえて異常に昇進し,76年軍機大臣軍機処)に任ぜられ,爾来20余年その地位にあった。その間多くの要職を兼ね,子は帝の娘と結婚し,非常な権勢をふるったが,99年(嘉慶4)乾隆帝が死ぬと直ちに罪を問われて自殺。在職中多額の賄賂をむさぼり取り,没収された財産は8億両にのぼったという。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「和珅」の意味・わかりやすい解説

和珅
わしん
(1750―1799)

中国、清(しん)代、乾隆(けんりゅう)帝の寵臣(ちょうしん)。姓は鈕祜禄(ニオフル)氏、字(あざな)は致斎(ちさい)。満州正紅旗の人、英額地方(遼寧(りょうねい)省開原県)出身。1769年、三等軽車都尉(中級爵位)を世襲。75年、乾清門(けんせいもん)侍衛の際、その好男子ぶりが皇帝の目に留まる。数年のうちに戸部侍郎、軍機大臣から戸部尚書議政大臣にまで昇るスピード出世を果たす。帝の娘を息子の嫁に迎え、貪欲(どんよく)な収賄を続け、官界汚職の巷(ちまた)と化した。帝の死後弾劾標的となり、嘉慶(かけい)帝から20大罪を列挙され、自害を命ぜられた。没収された財産は8億両、実に政府歳入7000万両の10倍以上であった。当時、「和珅がころんで嘉慶帝が腹一杯」という民謡がはやったほどである。

[安野省三]

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旺文社世界史事典 三訂版 「和珅」の解説

和珅
わしん

?〜1799
清の乾隆 (けんりゆう) 帝時代の権臣
貧家の出身。1776年軍機大臣,さらに戸部尚書・議政大臣になる。帝の寵愛をかさに専横をきわめ,政界を腐敗させたが,1799年帝が死ぬと諸臣の弾劾が集中。次の嘉慶 (かけい) 帝は20の大罪をあげて自殺を命じ,没収した財産は10億両をこえた。これは当時の政府の年収の10倍余にあたったという。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「和珅」の解説

和珅(わしん)
Heshen/Hošen

?~1799

清の乾隆(けんりゅう)帝時代の奸臣(かんしん)。満洲八旗の正紅旗出身。乾隆帝の信を得て軍機・議政大臣にのぼり,私財を蓄え,専横をきわめた。嘉慶(かけい)帝はこれを弾劾し,1799年死に至らしめた。

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世界大百科事典(旧版)内の和珅の言及

【乾隆帝】より

…宮廷にはイタリアの宣教師カスティリオーネが出仕し,ヨーロッパ風の絵画を描き,円明園の西洋建築の設計にも関与し,華やかさをそえた。しかし〈馬上朝廷〉という異名が朝鮮にも伝わるほど巡幸を重ねたことは,民間の疾苦の因となり,和珅(わしん)を寵愛しその貪横を許すなど失政も目だち,晩年には大規模な白蓮教の乱が勃発して,その鎮圧は次代に持ちこされたのである。【森 紀子】。…

※「和珅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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