改訂新版 世界大百科事典 「和珅」の意味・わかりやすい解説
和珅 (わしん)
Hé Shēn
生没年:?-1799
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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中国、清(しん)代、乾隆(けんりゅう)帝の寵臣(ちょうしん)。姓は鈕祜禄(ニオフル)氏、字(あざな)は致斎(ちさい)。満州正紅旗の人、英額地方(遼寧(りょうねい)省開原県)出身。1769年、三等軽車都尉(中級爵位)を世襲。75年、乾清門(けんせいもん)侍衛の際、その好男子ぶりが皇帝の目に留まる。数年のうちに戸部侍郎、軍機大臣から戸部尚書、議政大臣にまで昇るスピード出世を果たす。帝の娘を息子の嫁に迎え、貪欲(どんよく)な収賄を続け、官界を汚職の巷(ちまた)と化した。帝の死後、弾劾の標的となり、嘉慶(かけい)帝から20大罪を列挙され、自害を命ぜられた。没収された財産は8億両、実に政府歳入7000万両の10倍以上であった。当時、「和珅がころんで嘉慶帝が腹一杯」という民謡がはやったほどである。
[安野省三]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
?~1799
清の乾隆(けんりゅう)帝時代の奸臣(かんしん)。満洲八旗の正紅旗出身。乾隆帝の信を得て軍機・議政大臣にのぼり,私財を蓄え,専横をきわめた。嘉慶(かけい)帝はこれを弾劾し,1799年死に至らしめた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…宮廷にはイタリアの宣教師カスティリオーネが出仕し,ヨーロッパ風の絵画を描き,円明園の西洋建築の設計にも関与し,華やかさをそえた。しかし〈馬上朝廷〉という異名が朝鮮にも伝わるほど巡幸を重ねたことは,民間の疾苦の因となり,和珅(わしん)を寵愛しその貪横を許すなど失政も目だち,晩年には大規模な白蓮教の乱が勃発して,その鎮圧は次代に持ちこされたのである。【森 紀子】。…
※「和珅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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