翻訳|Manchu
中国東北部(満州)に興り,17世紀初め清を建国した満州族の言語。ツングース諸語の一つ。満州語は,満州におこなわれたが,都を瀋陽から北京に移してからは,満州語を話す満州族は中国本土に広くひろがった。しかし,中国を軍事的・政治的には征服した満州族も,文化的には征服され,言語も中国語を使うようになって満州語は衰え,今日,東北部では黒竜江省の数部落くらいでしか使われなくなった。ところが,遠く清の西辺の防備のため,1764年から65年(乾隆29-30)にかけて満州から新疆へ移住したシベ(錫伯)族(シボ族ともいう)の兵士と家族の子孫が,今日も新疆ウイグル自治区のチャプチャルシベ(察布査爾錫伯)自治県などで満州語を話している。この満州語はシベ(錫伯)語(シボ語)ともいう。シベ族の総人口は4万4000(1978)であるが,そのうちシベ語を使う新疆のシベ人は2万余りである。満州語には,口語と満州文字で書く文語とがある。
満州語の音韻については,文語によってみると,同一の語幹のなかに,通常は,aとəがともにあらわれることはなく,またoとəがともにあらわれることもない。母音のこのあらわれ方は母音調和と呼ばれる。
文法についてみると,文のなかにおける文の成分の配列は,主語-述語の順,また目的語-述語動詞の順,また修飾語-被修飾語の順をとる。自立語には,名詞(および数詞・代名詞),形容詞,動詞,副詞,感動詞がある。名詞や動詞は,語幹それだけで使われるか,またはその後に語尾をつけて使われる。このことは,日本語において,名詞に助詞がついたり,動詞が活用したり,これに助動詞がついたりするのに似る。名詞の語尾は,日本語のように助詞ともいえる。なお,語幹は,これにさらに接尾辞がついてまた別の語幹がつくられる。これらの語幹,接尾辞,語尾の結びつきは,境目が明瞭で,容易に区分でき,満州語のこの文法構造を膠着(こうちやく)的(膠着語)という。
満州語の語彙については,ことに基礎的な単語に,他のツングース語と共通するものがかなりみられる。しかし,一方満州語は,モンゴル(蒙古)語の強い影響を受け,モンゴル語から多くの単語を借用した。モンゴル語の影響は文法に関する点にもあるとみられる。また中国語から多くの借用語が入った。なお一方,満州語からの借用語が,近隣の諸言語,すなわちソロン語,ナナイ語などのツングース語やダゴール語などの近隣のモンゴル語へ入っている。
史書によると,満州族は,もと書写語としてモンゴル語を使い,これをモンゴル文字で書いていたが,清の太祖は1599年(万暦27)にモンゴル文字を満州語に応用した満州文字(満州字ともいう)を定めてこれをひろめたという。満州文字は,起源的には,モンゴル文字・ウイグル文字・ソグド文字とたどって,はるか西方の北セム系のアラム文字にさかのぼる。その後太宗は1632年(天聡6)に達海(ダハイ)に改良を命じ,従来の満州文字に丸や点を加えて新しい満州文字をつくった。これを有圏点満州文字といい,古い満州文字を無圏点満州文字という。満州文字は縦書きであるが,行は左から右へ追う(図参照)。単音文字であるが,音節文字的性質もある。一つの語は続けて書き,語と語は離して書くが,名詞の語尾(助詞)は語幹から分離して書くこともする。その後,時代によって満州文字の字体には変化があり,順治年代,康熙年代,さらに乾隆年代以降のそれぞれに違いがある。満州文字は,今日もシベ語を書くのに使われている。
清代の満州語文献は豊富にあり,満州語の辞書には,《大清全書》《御製増訂清文鑑》《清文彙書》のような大きな満漢辞典をはじめ種々のものがある。満州語の文法・読本もいくつも編まれ,なかでも《満漢字清文啓蒙》はひろく読まれた。満州族の歴史に関する文献には,清朝の初期の記録文書《旧満州檔(とう)》があり,古い部分は無圏点満州文字で,新しい部分は有圏点満州文字で書かれている。さらに,この原資料を整理して書き直した《満州老檔》や歴史書《満州実録》などがある。また満州語で書かれた膨大な清の官庁文書がある。外交文書も,ネルチンスク条約(1689),キャフタ条約(1727),璦琿(あいぐん)条約(1858)の条文は満州語でも書かれた。満州族固有の物語としては《巫者(ふしや)ニシャンの書》が知られている。一方,満州語には中国語から多くの文献が翻訳された。文学書としては,《三国志(演義)》《金瓶梅》《西廂記》《(抄訳)聊斎志異》などが翻訳された。また,四書五経も訳され,大蔵経や新約聖書の翻訳もある。
現代においては,シベ語の出版物が出ており,シベ族の作家の作品,読本,算数教科書,中国語からの翻訳書(毛沢東の著述,魯迅の小説など)などが出版されている。シベ語の新聞もある。
満州語・満州文字の知識は,日本にも江戸時代初期から入り,満州文字で書いた千字文を付録につけている《千字文註》という書物も入り,日本でも復刻された。荻生徂徠は《満文考(満字考)》を著し,満州文字の構成をわかりやすく示そうとした。1804年(文化1)にロシアの使節N.P.レザノフが長崎に持参した国書は満州語でも書かれていた。幕府の天文方の高橋景保がこれを訳解したが,彼には満州語に関して辞書などの著作もある。長崎の唐通事(中国語通訳)も満州語辞書を和訳した。このように,日本では江戸時代にすでに満州語を解する人があらわれていた。今日では,《満和辞典》(羽田亨編)も刊行され,満州語で書かれた歴史文献などの日本語訳がある。
執筆者:池上 二良
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
清(しん)国を建てた満洲族(満州族)の言語。漢民族の漢語(中国語)とは別の言語である。しかし満洲族は、文化的には漢民族に同化し、満州語を使うことをやめ、中国語を使うようになり、今日満州語は中国東北部でも北のごく小部分でしか話されなくなった。錫伯(シベ)族(人口1990年17万2900人)もかつて東北部で満州語を使っていたが、その後中国語を話すようになった。しかし、清代に国境地域の警備のため、東北部から新疆(しんきょう/シンチヤン)へ移住した一部の錫伯族の人々の子孫が新疆ウイグル自治区の察布査爾(チャプチャル)錫伯自治県などにおり、いまも満州語を話し、新聞もある。その満州語を錫伯語という。したがって満州語は、死滅してしまった言語なのではない。満州語は広義のツングース語の一方言であり、満州語の言語構造はだいたいにおいてツングース語の他方言のそれと等しい。しかし、音韻、文法、語彙(ごい)の全般に他方言と著しく異なる点もある。また、蒙古(もうこ)語、中国語から多くの借用語が入っている。満州語を書き表すのに、満洲族は1599年清の太祖の創案で蒙古字を用いることになり、これを無圏点満州字とよぶが、1632年、それに丸や点を加えて改良した満州字が達海(ダハイ)によってつくられ、前者と区別して有圏点満州字とよぶ。初期の清朝の記録である「満文老檔(ろうとう)」のさらに原文書である「旧満州檔」は、その古い部分は無圏点字で、新しい部分は有圏点字で書かれている。有圏点字による満州語文献は種々豊富に残っており、清代の膨大な量の行政書類のほか、清朝の歴史を記した『満州実録』のような史書などもあり、一方「四書五経」あるいは『金瓶梅(きんぺいばい)』など、中国語からの多くの翻訳がある。日本には、すでに江戸時代に満州語の書物や文書が入っている。満州字で書いた「清書千字文(しんしょせんじもん)」が載る『千字文註(せんじもんちゅう)』という書物も入り、わが国で1715年(正徳5)に翻刻された。ロシアの使節レザノフが1804年(文化1)長崎へ持参した国書には、満州語で記されたものもあった。それを読解した人には高橋景保(かげやす)らがいて、満州語に関する著述もなされた。
[池上二良]
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…もし放置しておくと,多数民族言語が少数民族言語を吸収してしまうおそれがある。例えば,アメリカにおけるアメリカ・インディアンの言語や日本におけるアイヌ語はいまや消滅の危機にさらされているし,かつて中国を256年にわたり支配した清王朝の言語である満州語も微少なまでに衰退してしまった。これは満州人が母語を中国語に取り替えたからで,その結果民族としても,いわば中国人に変身したことになる。…
※「満州語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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