改訂新版 世界大百科事典 「和田酒盛」の意味・わかりやすい解説
和田酒盛 (わださかもり)
幸若舞曲の曲名。作者・成立未詳。上演記録の初見は《言継卿記》天文15年(1546)の条。和田義盛は,相模国山下宿河原(現,神奈川県平塚市山下付近)の長者のもとで,3昼夜に及ぶ酒宴を張った。曾我十郎祐成を想う遊君虎御前は,義盛の再三の招きにも応じない。祐成の諫言もあり,しぶしぶ宴席に出た虎御前は,義盛に招かれて座に連なっていた祐成に思差し(おもいざし)(特に相手をきめて,盃のやりとりをすること)をし,義盛の不興を買い,その場が険悪になった。そのころ,曾我五郎時宗は夢見が悪く,兄の危急を察する。祐成のもとにかけつけた五郎は,朝比奈三郎義秀と草摺引(くさずりびき)をし,その後宴席に加わり,とうとう義盛を屈服させた。幸若舞曲の曾我物語は,仮名本《曾我物語》とあら筋は一致しながら,細部の趣向において独自性が見いだされる。本曲も例外ではなく,《曾我物語》巻六〈和田義盛酒盛の事〉以下の数章段によると,一般的に曾我兄弟に好意的な人物として登場する義盛が,ここでは敵役であることから,先行説話があったとも推定されている。また,地理的な記述の正確さから,《曾我物語》よりも幸若舞曲のほうに古態性を認める立場もある。後世,浄瑠璃などにも多大な影響を与え,歌舞伎十八番の《矢の根》の典拠として,また歌舞伎所作事〈草摺引〉の源流としても知られる。
執筆者:西脇 哲夫
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