歌舞伎舞踊系統の一つ。親の仇敵工藤祐経ありと聞いた曾我五郎が,鎧を小脇に駆けこむのを,小林朝比奈が草摺を捕らえ,引き止めて意見忠告する筋。これを舞踊化した作品のすべてを〈草摺引物〉という。発生は古く,江戸歌舞伎の初春狂言として〈曾我物語〉に材をとる慣習が式例化すると,数多の同類作品が生じた。しかし現在もなお《草摺引》と称して上演されているのは,1787年(天明7)正月江戸桐座初演,長唄《菊寿の草摺(きくじゆのくさずり)》(通称《勢い》,1世杵屋正次郎作曲)と,1814年(文化11)正月江戸森田座初演,長唄《正札附根元草摺引(しようふだつきこんげんくさずりびき)》(通称《正札附》,4世杵屋六三郎作曲)の2作だけ。前者は荒事芸の手ほどきとして,舞踊修業の初歩段階に教えられ,舞台でも相応に子供が上演。後者は歌舞伎本興行のほかに一般舞踊会でも上演。ただし朝比奈を朝比奈女房,舞鶴の役に直し,女方が演じる場合が多い。約束事や決りの型が多く,双方とも古風で正月らしい味わいが十分な作品である。
→帯引物 →曾我物
執筆者:目代 清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
歌舞伎(かぶき)演出の一系統、またはこれに基づく舞踊劇の通称。『曽我(そが)物語』の一節、および幸若舞(こうわかまい)『和田酒盛(わだのさかもり)』にある、曽我五郎が兄十郎の危難を救おうと鎧(よろい)をつかんで駆け出すのを、小林朝比奈(あさひな)が引き留めるが、引き合ううちに2人とも大力なので、鎧の草摺がちぎれるという話を脚色したもの。1688年(元禄1)初めて歌舞伎に扱われ、98年5月江戸・中村座で初世市川団十郎の五郎、初世中村伝九郎の朝比奈によって演じられた荒事(あらごと)の『兵根元曽我(つわものこんげんそが)』が演出の基盤。その後長唄(ながうた)の舞踊劇として多くつくられたが、1814年(文化11)1月江戸・森田座の7世団十郎の五郎、初世市川男女蔵(おめぞう)の朝比奈による『正札附根元(しょうふだつきこんげん)草摺』(通称「正札附」。4世杵屋(きねや)六三郎作曲・藤間大助振付け)が決定版として今日に伝わった。なお、朝比奈を女の役にしたのは1787年(天明7)の『菊寿(きくじゅ)の草摺』(通称「いきおい」)が最初だが、「正札附」でも俳優の都合で朝比奈のかわりに和田の舞鶴(まいづる)で演じる型が現代でもよく行われている。
[松井俊諭]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…その作品の一群を〈帯引物〉という。《曾我物語》を初春狂言の題材に選ぶことが,早くに式例化した江戸歌舞伎では,五郎を軸に展開し,なかんずく五郎と朝比奈による〈草摺引〉と呼称する力競べの場を舞踊化して上演するのが常であった。しかし時と場合によっては五郎を演じる俳優より,少将役の女方俳優の方が芸格・人気・勢力が上のこともあり,五郎を少将の役に置き換えて力競べの場を上演する必要があった。…
※「草摺引」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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