品川町(読み)しながわまち

日本歴史地名大系 「品川町」の解説

品川町
しながわまち

[現在地名]弘前市品川町

城の南東に位置し、土手どて町―松森まつもり町の道路と平行する、山道やまみち町から富田とみた町に至る道筋町並。西は富田新とみたしん町・新品川しんしながわ町と接し、町内を釜萢かまやち堰が縦貫

寛文一三年(一六七三)の弘前中惣屋敷絵図(市立弘前図書館蔵)に、侍丁とあり、道路は不完全ながら設けられているが、屋敷割はされていない。延宝五年(一六七七)弘前惣御絵図(同館蔵)には、町割が完成し、品川町一丁目から一〇丁目までが記される。


品川町
しながわちよう

[現在地名]金沢市天神町てんじんまち二丁目

のちの三十人さんじゆうにん町の西を占める武家地で、町名は地内に藩士品川氏の上屋敷があったことにちなむという(金沢古蹟志)。北は町に続く。品川氏は人持組の家柄(安政三年の侍帳では禄高三千石)、初代雅直は三代藩主前田利常に殉死したことで知られる。屋敷は寛文二年(一六六二)当時田井たい村領であった当地拝領したもの(改作所旧記)。二代直幸は蔵人を名乗ったことから同氏屋敷一帯は蔵人くらんど町とも称されたといい、「金沢市史稿」は明治五年(一八七二)蔵人町を品川町と改称したとする。前掲安政三年(一八五六)の侍帳では品川家の所在は田町と記されており、品川町・蔵人町ともに通称として使用されていたものであろう。


品川町
しながわちよう

[現在地名]中央区日本橋室町にほんばしむろまち一丁目

北鞘きたさや町の東にある東西に続く両側町。北は駿河するが町、東は室町一丁目・同二丁目、南には品川町裏河岸しながわちよううらがしがある。町名は品革(歯朶革)、すなわち紺地に染めすかし模様を彫った皮革を製する職人が多く居住していたことに由来する。国会図書館蔵寛永江戸図には「志な川丁」とある。安永三年小間附町鑑によれば京間七五間の公役金を負担。名主は竹口六右衛門(宝暦七年万世町鑑など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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