品治郷
ほんじごう
「和名抄」諸本とも訓を欠く。郷名は垂仁天皇の皇子誉津別命の子代品治部に由来するとされる。延喜五年(九〇五)九月一〇日の東大寺領因幡国高庭庄坪付注進状案(東南院文書)の末尾に署名している「税預品治助益」は、当郷名を名乗る地方豪族で国衙官人であろう。「時範記」によれば、承徳三年(一〇九九)三月九日因幡国府(現国府町)に滞在中の国司平時範へ「品治郷司政茂」は引出物馬二匹を献じた。
品治郷
ほむちごう
「和名抄」高山寺本・東急本ともに「品治」と記すが訓を欠く。「芸藩通志」は「品治は今本地村あり」とし、「日本地理志料」は阿坂(現山県郡豊平町)、本地・今田・石井谷・南方・木次の諸村(現同郡千代田町)にあてる。
品治郷
ほむちごう
「和名抄」刊本に「保無智」と訓ずる。「大和志」は「方廃王寺村存」として現北葛城郡王寺町王寺一―三丁目付近に比定。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 