日本大百科全書(ニッポニカ) 「喜多村節信」の意味・わかりやすい解説
喜多村節信
きたむらときのぶ
(1783―1856)
幕末の国学者、考証学者。江戸の町年寄の家に生れる。通称彦助(ひこすけ)、のち彦兵衛(ひこべえ)。名は、知人から名前の上下を取り違えた銅印を贈られたことに由来して信節(のぶよ)ともいう。号は筠庭(いんてい)、静舎(しずのや)など。特別に師事した学者はいないが、小山田与清(ともきよ)、岸本由豆流(ゆずる)、山崎美成(よししげ)など交際範囲は広い。古今のさまざまな文献を渉猟し、社会風俗の考証を得意とした。なかでも、1830年(天保元)に成った『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』は有名で、その考証は近世の風俗や書画、詩歌、歌舞、草木などにまで及び、近世後期の庶民生活研究の貴重な史料となっている。ほかに『新増年中行事』『武江年表補正略(ぶこうねんぴょうほせいりゃく)』『花街漫録(かがいまんろく)』など。
[桂島宣弘 2015年10月20日]
『大川茂雄・南茂樹編『国学者伝記集成2』復刻版(1978・名著刊行会)』