喜多村信節(読み)キタムラノブヨ

デジタル大辞泉 「喜多村信節」の意味・読み・例文・類語

きたむら‐のぶよ【喜多村信節】

[1783~1856]江戸後期の国学者考証学者。江戸の人。名は節信ときのぶともいう。市中民間風俗伝承記録・考証した。著「嬉遊笑覧」「瓦礫雑考」など。

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精選版 日本国語大辞典 「喜多村信節」の意味・読み・例文・類語

きたむら‐のぶよ【喜多村信節】

  1. 江戸後期の国学者、考証学者。名を節信(ときのぶ)ともいう。通称、彦兵衛。号、筠庭(いんてい)、静斎など。江戸の人。博覧強記にして和漢の書にくわしく、民間の風俗、雑事を記録、考証し、集大成した。著述は多く、主著は「嬉遊笑覧」、他に「瓦礫雑考」「画証録」「筠庭雑考」などがある。天明三?~安政三年(一七八三?━一八五六

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜多村信節」の解説

喜多村信節 きたむら-のぶよ

1783-1856 江戸時代後期の国学者。
天明3年10月16日生まれ。江戸町年寄喜多村家の次男。国学者の小山田与清(ともきよ),岸本由豆流(ゆずる)らとまじわる。民間風俗や雑事の考証,記録にすぐれ,天保(てんぽう)元年「嬉遊(きゆう)笑覧」をあらわした。安政3年6月23日死去。74歳。通称は彦兵衛。号は筠庭(いんてい),静園,筠居。別名に節信(ときのぶ)。著作はほかに「瓦礫(がれき)雑考」「筠庭雑考」など。
格言など】武家にて昼飯くうこと昔はなし,其(それ)も動きはたらく者はくいしなり(「嬉遊笑覧」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「喜多村信節」の意味・わかりやすい解説

喜多村信節
きたむらのぶよ

[生]天明4(1784).江戸
[没]安政3(1856).6.23. 江戸
江戸時代後期の国学者。号は 筠庭 (いんてい) ,筠居,節信 (ときのぶ) とも称する。民間風俗の考証にすぐれた業績を残した。主著『嬉遊笑覧』 (1830) ,『 筠庭雑考』『武江年表補正』。

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367日誕生日大事典 「喜多村信節」の解説

喜多村信節 (きたむらのぶよ)

生年月日:1783年10月16日
江戸時代後期の国学者
1856年没

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